現地調査レポート/唐津市浜玉町/瀬戸 1LA97123■ 櫻井菜穂子 1LA97145■ 高木茂子
○村の水利について
*その他 ・溜池の管理について 資金不足のため、村では管理するのが難しくなり、10年ほど前から、町に管理を委託した。 ○3年前の大旱魃について 瀬戸は水不足はなかった。水源に近いため、田が枯れるようなことはなかった。30年前だったとしても、あまり変わらなかったと思われる。 ○焼き畑、キイノ(切り野)があったか。 ・焼き畑はない。 *キイノについて 昔、山を切り開いて果樹園(ミカン山)にしたけれど、ミカンの輸入自由化に伴うミカンの価格大暴落によって、大半のところがミカン作りをやめ、切り開いた果樹園は元の山に戻りつつある。 ○しょ(ゅ)うじ(小路)について 小字どおり。 ○屋号について 屋号はない。 ○入り会い山について ボウゲットウ山、タケンコガ山、オオヒラ(ダイラ)山、ワダメ山から薪をとってきていた。出入りは誰でも自由で、村の共有のものという感覚はない。 ○道について *「〜ノウテ」という道はない。 昔の道が広くなっただけで道筋は変わっていない。学校道は今の剣道、相知、唐津、浜玉線が主な道。昔は野田村へ山越えをして行くほぼ直線に近い道があったらしいが、今はないし、道筋は定かでない。 ○祭りについて(部落の年中行事) ・2月か3月の29日頃 ダイニチ様(祭祀の呼称)をヤンボシ様という人がやっていた。ヤンボシ様というのはもう亡くなった人だが、金丸家の人だったらしい。 ・4月、春祭り 野田に近い、中尾の明神様(シゲノタンのお宮)で行われる祭り。瀬戸直接は参加していないらしい。 ・5月15日 中村権現様の祭り。(中村氏子の祭り)中村姓の人ばかりの人が集まって飲み食いをする。他姓はやっていない。 ・7月、土用の頃 ムジゲト(ムシギト)と呼ばれる祭り。今では浜崎の方から神主が来て祈祷している。昔はヤンボシ様がやっていた。疫よけのためワコゴリ(輪くぐり)をつくっている。土用コモとも呼ばれる。 ・彼岸の頃 コモリという祭り。各家ごとにご馳走をもちよる。 八幡様が村の神、氏神 ○田畑について 米がよくできるところ・・・大良、瀬戸前、瀬戸、山口 (小字) 特に米ができないという所はない。収穫差は1俵か2俵。 ○肥料について 今は化学肥料だが、昔は牛の堆肥を使っていた。昔の方が土地は肥えていたが、収穫はそれほど変わらなかった。 道路が整備されたので便利になったが、1、2軒は立ちのいた。それ以外はほとんど変わっていない。村の範囲もほぼ同じで、野田との境界はあるが、山田との境界はない。 お話をしてくださった方 中村一男さん 大正14年生まれ 72歳 他3名、匿名希望 |