現地調査レポート/佐賀県/唐津市浜玉町/大江 1LT97130■ 福嶋清佳 1LT97170■ 吉武千代 聞き取りをした方 ・増田寿之助 大正7年生まれ ・溝江年英 昭和5年生まれ ・松尾健次郎 昭和8年生まれ 行動記録 AM.8:30 出発 10:00 溝江氏の家に到着。二人の古老を呼んでいただき、お話を伺う。 PM0:20 溝江氏の家を辞去 1:00 諏訪神社着、付近を散策 1:30 昼食 2:00 浜崎地区を散策 4:00 路上でバスを待つ 4:30 バス着 5:30 学校着 しこ名一覧
水の便について:玉島川は低い川なので以前より水の便が悪かったが、最近、温州みかんの栽培が盛んになり、そのため、山が果樹園に変わり、土砂が川へ流入した。よって、川が浅くなり、水面が上昇した。大江は低い土地であり、玉島川が氾濫すると耕地、宅地が水に浸かる。玉島川は水量が豊富であり、用水路の整備された現在、1994年の大干ばつでも、水に困ることはなかった。1994年の旱魃が40年前に起こったとしても、玉島川は水量が豊富で、用水路の整備は昭和25年ぐらいなので、何も困らなかっただろう。現在、水路には、井手番がおり、水の配分を調整しているが、作物が多様化したため(稲、いちご、みかん、ねぎ)水の配分が難しい。 村の耕地について:浜玉町付近は隆起地帯であり、古来は、葦などが生える土地であった。そのため、土地(特に大江前、中縄手)は粘土質でやせており、その上、水の便が悪く収益は少なかった。よって水田は少なく、副業として畑、夏みかん栽培が行われていた。 水田が少なかったため、水田は小字で呼んでいた。(しこ名はなし)昭和25年ぐらいより、土地改良と土地整備が行われ、水田、水路が整った。平原で、明治時代より行われていた温州みかんの栽培を夏みかんの代わりに行っている。 昔:水田、畑、夏みかん 肥料は刈敷だったようだ。 村の道について:浜崎は江戸時代、対馬藩の領地であり、貿易が行われ、千石船などが玉島川に浮かんでいた。そこで水揚げされた品物が大江地区にも運ばれただろう。 祭祀:昔は大江の住民は公民館より上流に住む人は玉島神社の氏子、下流に住む人は諏訪神社の氏子となっていた。最近、公民館付近に大村神社の分社ができてより、一応、大江の住民は全て大村神社の氏子となっている。しかしながら、実際には大村神社の氏子としての活動はほとんどせず、諏訪神社、玉島神社の氏子としての活動をしている。 玉島神社:神功皇后が三韓征伐の時、鮎を釣って勝敗を占ったという場所。 諏訪神社:鷹狩りを伝えた人物を祭ってある神社。護国社、祇園社もあり、7月20日、21日に浜玉祇園祭が行われ、山車を回す。 |