現地調査レポート/佐賀県/唐津市浜玉町/岡口

 

1LT97005■  荒木 和憲

1LT97055■  久保 琢生

 

村名

しこ名

種類・所在

由来

岡口村

Tバクチイシ(博打石)

Uタチンカワ(太刀川)

Vドンドンバシ

Wゴホンクス(五本楠)

タタミイシ

カクシバタケ(隠し畑)

 

オニガジョウシ(鬼ヶ城址)

オオチリダメ

ムックリダシ

フルタ

マツモトサマ(松本様)

アナカンノンサマ(穴観音様)

山の畑・太刀

川・太刀

川・筒井、岡ノ前

山の畑・楠山

山の畑・?

山の畑・?

 

城址・古城

観音堂

このあたりで博打をやっていたらしい。

旧字の太刀を流れている川。

橋の名前ではない。

この辺りに楠が五本生えていたらしい。

 

税をのがれるために隠れて畑を作ったらしい。

龍造寺隆信に関係があるらしい。

洞窟の中に、弘法大師の芃字が発見されたとか。

〈字〉

太刀、片峯、今川、筒井、岡の前、石刎、櫻、三重、谷、楠山、横道、夫婦石

 

〈岡神社の伝説〉

 400年前の太閤検地のとき、代官が大村の里、岡口村にやってきた。代官が石山というところに来ると、大蛇が現れたので切り捨ててしまった。その後、村は飢饉と疫病に悩まされた。村民たちは、玉島川の鮒を捕らえ、肉を栄養源とし、内蔵を薬にして、何とかしのいだのだった。飢饉と疫病が収まると、村民たちは大蛇のたたりだと思い、岡神社を祭ったという。それ以来、毎年、12月の初午の日には、五穀豊穣、無病息災を祈って祭りを行い、鮒を生きたまま食べるらしい。

 

 

○村の生活に必要な土地

・入会地…山林として今も残っている。昔は杉やヒノキを育てて売るため12日交代で管理していた。今は個人の仕事が忙しく管理していない。(また、お金にならないそうだ)

・取り決め…昔は谷組と片峯組で中組と下組で(20戸余で分ける)

      岡口全体として7町

・現在…谷組は県に入会地を売り、(片峯組は売らなかった)中組と下組は入会地を放置しているため、入会地は荒地になっている。

・保水地…県の保水地(34)持貫にある。

・植林…保水効果の上昇、山崩れ防止。

 

○村の範囲

今と変わらないらしい。字が境界。

山は不明(山の区別はつかない)

他は平野、溝道が境界。

 

○村の耕地

 

湿田

乾田

場所

1町(新水にある)

それ以外全部

取水口

 

ドンドンバシ

玉島川

収穫量

810(反当たり)

85俵〜9(反当たり)

戦前

化学肥料と牛肥の併用

67(反当たり)

*化学肥料:リュウアン

      ニョウソ

戦後

化学肥料を使い1〜2俵増加

10年に1度玉島川が氾濫

     ↓

南県道から北側(岡口、谷口など、南に比べて土地が低い)に洪水

     ↓

堤防の設置をめぐり争い

 

・小作料の上納

四分(小作料)六分(取り分)、七分(取り分)三分(小作料)など

 

1反〜2畝投げ出し道路をしく→堆肥を作らない分出稼ぎに

 

○水利

〈使用している用水の名称〉不明

〈用水源〉@玉島川(五反田)

      →岡口、谷口、五反田、口ノ上と共有

     A岡口の谷川

      →岡口が独占

 

〈水利慣行〉

・圃場整備(土地改良)以前

水利組合が存在。

川上である五反田に強い水利権→岡口、谷口が費用を分担(五反田の支出なし)

・圃場整備以後

水利組合(南山・南山下・上横田・下横田・浜崎(水の配分を決定)・砂子・大江)

 

3年前の大干ばつの時の水対策〉

・谷口川からの水を3地区で配分(1日交代で)

・各世帯に井戸水

 

〈水利をめぐる争い〉

・表立った争いはなかったが、夜間になると自分の村に水を引くものがいた(まさに「我田引水」)→水当番を設置(夜間警備)

・五反田、谷口、口ノ上との間での出来事

 

40年前に大干ばつが起きたらどうだったか〉

・昭和30年代後半〜40年代前半にかけて、山にみかん畑が増加

→保水能力が大きくなる。

→水は豊富(また降水量も多い)

・だから40年前(昭和32)には、まだ、みかん畑がなかったため、保水能力が低かった。

当時であれば、今よりも水不足に悩んでいたに違いない。

 

〈岡口地区の今後について〉

・岡口地区はみかんの売り上げが多くを占めているので、売上の充実を図らなければならない。具体的にはビニールハウスを充実させること(平野部ではみかんが生育しないため)また、排水をよくすること。

 

・岡口から浜崎へ出る道が瀕弱なため、通勤、通学が不便なので大きな道の建設が望まれている。

 

・玉島川の南には国道323号が走っていて、住宅地化が進み、地下も上昇している。しかし、川の北の岡口地区は、交通が不便で発展していない。そのため展望が良い城山の休憩所を観光地化すことによる地域おこしが望まれている。

 

・現在、地区の半分が専業農家であり、また若者の数は少ないものの大半が農業に従事している。しかし、若者には独身者が多いため、この地区に来てくれる結婚相手が強く望まれている。

 

・昔の子供会は、神社や納骨堂の掃除などをして、地域に貢献していたが、現在では行われていない。現在の活動は1月の67日に行われる。ホンゲンギョウと呼ばれる行事ぐらいで、しかも大人たちの主導らしい。だから、子供たちが、もっと積極的に活動することが望まれている。

 

・昭和30年代前半までは、全て米作の農家だったため、地区の人々には平等の意識があり、協力して農作業を行っていた。しかし、30年代後半からみかん農家が増加し、人々は売上を競争するようになり、次第に格差が生じ始めた。現在では、大きな作業の場合には、協力しているが、普段はビニールハウスの管理に人を雇ったりしていて、昔と比べると人間関係が希薄になっている。だから、共同作業を通してのコミュニケーションが重要視されている。

 

・伝統的に人々は神社の行事に参加したり、改修費用を共同負担してきた。だから、人間関係が希薄な現状を打開するには、神社を中心として、コミュニケーションをとることも必要のようだ。

 

[村の道]

・昔のとなり村へ行く道は今とほぼ同じ。

・みかん畑を作るため山道がある。

 →現在はハウスみかんが主流のためあまり利用されてない。

 

[祭祀]

信仰

・玉島川よりも北の地区→大村神社の氏子   *岡口地区は岡大明神も信仰

・天照大神

・お大師様(弘法大師空海)・・・近所で集まって茶菓子を食べる。

・お稲荷様・・・子供が菓子をもらう。

・それぞれの檀家

 

 

 祭り

・春祭り(豊作祈願)

・秋祭り(感謝)

・岡祭り(岡神社の祭り)・・・生鮒を食べる習慣

神社の経費は共同負担。地区の誰もが不満を言わずに費用を出し合っている。→神社を中

心として地区がまとまっている。

 

調査に協力していただいた方

久保田 新 さん (昭和22年生まれ)

渡辺 大吉 さん (大正7年生まれ)

 

〈行動記録〉

AM.1000  バスから下車

  1045  久保田さん宅到着

       聞き取り調査

PM. 100  昼食(岡神社にて)

  130  渡辺さん宅で聞き取り調査

  330  久保田さん宅にて世間話

  600  浜崎駅到着

  630  博多行電車に乗り、帰宅



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