南山上
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〈使用している用水の名前〉
井手
特に名前はないが、必要な時に井堰の名前(猫石、ガブロ)をとって、猫石井手・ガブロ井手と呼ぶ場合もある。
*S40年代にみかんを作るようになってからは、山の山頂に溜池を作り、そこに、ポンプアップした川の水と流れてきた山の水が貯まるようにした。(その後はスプリンクラーでまく予定だったが、みかんの値段暴落で露地栽培からハウス栽培に転換、必要がなくなり、農家には借金だけが残る)
〈水車について〉
井手には4箇所に計10個の水車があり、精米や製粉などによく使われた。
〈祭祀〉
玉島神社
南山の約70戸の氏神。神功皇后を祀る。春夏秋には南山住民によってお祭りが行われ、かやでできたまるい輪を通って無病息災を祈る「チノワくぐり」がある。夏に行われるのは夏祈祷、また秋(11月)の命日に行われる大祭りでは、収穫祭とともにしめなわのとりかえもおこなわれる。
天神社
南山でも裏字の鎮守であり、菅原道真を祭っている。天神社の「天」は「天満宮」の天であり、裏字の住民で春夏秋に祭りを行う。
〈山について〉
このあたりではやき畑は行われず、また入会山もなかった。個人で所有していた山を部分的に買うなどして、燃料などを調達していた。個人で広い山林地を持つ場合は、伐採する木の場所を毎年変えていたという。樹木は約10〜15年で1回切られたらしい。
〈屋号について〉
このあたりで特に多い苗字というのはあまりなかったが、それでも中にあることもあった。
(例)職業からとった名前
茶屋・飴屋・桶屋・車屋
分家したところ
新宅
〈今回お話を伺った方のお名前〉
吉森 栄さん 65歳(昭和7)
野田 廣仲さん 76歳(大正11)
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〈用水源〉
小川
〈共有している他の村〉
現在の浜玉町一帯
〈昔の配水の慣行・約束事〉
井堰に近い水田から順番に引く。
〈昔の水争いの有無〉
田に水を引くために水をせき止めているものを、隣の人が自分の田に水を流そうとしてとってしまうことがあった。そのために干魃(昭和11年には大干ばつもあった)の時など、夜も田んぼのそばで寝ることもあった。
*玉島
古来は「梅津羅の里」とも呼ばれ、研究により、末盧国の存在も推定されたところである。「遠の朝廷(とおのみかど)」と言われた大宰府のあった太宰府に行くためには、鳥栖経由と玄界灘経由があったが、玄界灘ルートを通るには現在の浜玉町にあった大村疫を通過したと言われ、山上憶良や大伴の旅人もたちよったと思われる。玉島は枕詞でもあり、
玉島のこの川上に家はあれど
君をやさしみ表はさずありき
などと歌われている。
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