現地調査レポート/佐賀県/唐津市浜玉町/南山上

 

法学部1年 園田純子・道場亜矢

 

 

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村の名前

 

小字

しこ名

南山上

田畑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その他

(南山上の範囲)

 

 

 

 

 

 

その他

三宅のうちに

 

裏のうちに

 

名丸の内に

 

 

 

菖蒲坂のうちに

 

 

上木場のうちに

 

山田

羽子坂

小山田

隈本

高田

境田

千原

釘山

名丸

 

サカイダ(境田)

 

トンモト、ナカンヨリ

 

サダヘイダ(定平田)、ナワシロナラビ(苗代並)

ヨシムラダ(吉村田)、マエダ(前田)、クルマンマエ(車前)

 

ナマルダン(名丸段)、ウシミネ(牛峯)、イワランザコ(岩乱坂)別名シラカガヤマ(白賀山)

 

ヒエンザコ(比恵坂)、ニシノ(西野)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

裏の範囲は、道を境に表と呼ばれる地域と裏と呼ばれる地域に分かれている。(11戸ずつぐらい)

 

 

 

南山上

〈使用している用水の名前〉

井手

特に名前はないが、必要な時に井堰の名前(猫石、ガブロ)をとって、猫石井手・ガブロ井手と呼ぶ場合もある。

S40年代にみかんを作るようになってからは、山の山頂に溜池を作り、そこに、ポンプアップした川の水と流れてきた山の水が貯まるようにした。(その後はスプリンクラーでまく予定だったが、みかんの値段暴落で露地栽培からハウス栽培に転換、必要がなくなり、農家には借金だけが残る)

 

〈水車について〉

井手には4箇所に計10個の水車があり、精米や製粉などによく使われた。

 

〈祭祀〉

玉島神社

南山の約70戸の氏神。神功皇后を祀る。春夏秋には南山住民によってお祭りが行われ、かやでできたまるい輪を通って無病息災を祈る「チノワくぐり」がある。夏に行われるのは夏祈祷、また秋(11)の命日に行われる大祭りでは、収穫祭とともにしめなわのとりかえもおこなわれる。

 

天神社

南山でも裏字の鎮守であり、菅原道真を祭っている。天神社の「天」は「天満宮」の天であり、裏字の住民で春夏秋に祭りを行う。

 

〈山について〉

このあたりではやき畑は行われず、また入会山もなかった。個人で所有していた山を部分的に買うなどして、燃料などを調達していた。個人で広い山林地を持つ場合は、伐採する木の場所を毎年変えていたという。樹木は約1015年で1回切られたらしい。

 

〈屋号について〉

このあたりで特に多い苗字というのはあまりなかったが、それでも中にあることもあった。

()職業からとった名前

茶屋・飴屋・桶屋・車屋

分家したところ

新宅

 

〈今回お話を伺った方のお名前〉

吉森 栄さん  65(昭和7)

野田 廣仲さん 76(大正11)

〈用水源〉

小川

〈共有している他の村〉

現在の浜玉町一帯

 

〈昔の配水の慣行・約束事〉

井堰に近い水田から順番に引く。

 

〈昔の水争いの有無〉

田に水を引くために水をせき止めているものを、隣の人が自分の田に水を流そうとしてとってしまうことがあった。そのために干魃(昭和11年には大干ばつもあった)の時など、夜も田んぼのそばで寝ることもあった。

 

 

*玉島

古来は「梅津羅の里」とも呼ばれ、研究により、末盧国の存在も推定されたところである。「遠の朝廷(とおのみかど)」と言われた大宰府のあった太宰府に行くためには、鳥栖経由と玄界灘経由があったが、玄界灘ルートを通るには現在の浜玉町にあった大村疫を通過したと言われ、山上憶良や大伴の旅人もたちよったと思われる。玉島は枕詞でもあり、

玉島のこの川上に家はあれど

君をやさしみ表はさずありき

などと歌われている。

 

《南山上周辺について》

 南山上の周辺の地域は、昔は水田で米作りをしていたが、今はみかん作りに変わっている。

 

(米作りについて)

 南山上周辺の水田は乾田で土地が良く、戦前は1反当たり8(60kg)ほどの米が取れていた。肥料には牛馬に踏ませた草や堆肥を使っていて、牛や馬に踏ませるための草をとるために、朝の4時には家を出ていたという。

南山から下って浜崎では湿田で収穫も67俵だった。川の下流であったので、昭和11年に起こった大旱魃の時は特に被害が大きかったらしい。

 戦後、化学肥料を使うようになってからは、南山上の収穫も増えて1反当たり10俵ほど米ができるようになった。

 

(みかん作りについて)

 昭和40年代になると、コメの値段はだんだん下落した。ちょうど同じ頃日本ではみかんブームが起こり、ここ南山でも米作からみかんへの転作が大規模に行われた。特に、山頂に溜池をつくり、スプリンクラーで各みかん農家に配水するシステムや、舗装農道を大規模に作った。しかし、みかんブームはそう長くは続かず、各みかん農家もハウスみかんに転作した。現在ここ南山地区は愛媛とならぶ全国有数のみかん産地ではあるが、かんがい施設や大規模農道でかかった費用の負担金がまだ払われておらず、農家の経営は非常に苦しいものとなっている。南山上地区でも、専業農家の数はわずか数家ほどである。



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