現地調査レポート/佐賀県/唐津市浜玉町/古瀬
1EC97088■ 下東由紀
1TE97471■ 久光元貴
筒井勲さん 大正10年
青木盛雄さん 明治43年
田中博敏さん 昭和18年
国分スガノさん 大正11年
村の名前
古瀬
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田畑
(みかん畑・
りんご園)
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小字中野のうちに
小字名所のうちに
小字川内山のうちに
小谷元のうちに
小字上川原のうちに
小字非ノ木のうちに
小字犬山のうちに
小字倉坂のうちに
小字登立のうちに
小字大坂のうちに
小字古瀬のうちに
小字青木のうちに
小字狩集丸のうちに
小字北園のうちに
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コウバタ、ナカノ(小字ではなく中野さんという方の所有している田があった)
カンノサコ
ナナマガリ
コウタワライシ、サンカクベラ
イツガタ
オツタワライシ、タワライシ、クラサコサマ、クボ
ヤンサコ
イッポンマツ(一本松)、シロボ
タケンヤマ
オオサコガシラ、シンメイギョウシャ
ヒロバ、アンシャンバタケ、コウジンドウ
アオキマエ、イシワラ
カラツマ
オオゼマチ、ナコダ、ドウノシタ(堂の下)
(ただ、北園は中原に入ると言われたが、村の範囲内に入るもののみ表記する)
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小川
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小字狩馬丸、青木、大非手、倉坂、中野沿いを流れる川の川沿い
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ツメンフチ
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橋
(サボとよばれる沈み橋)
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小字倉坂のうちに
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サボコイシ
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石碑、記念碑、お宮など
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小字古瀬のうちに
小字大坂頂のうちに
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テンジンサマ、ビシャモンサマ、カンノンサマ、ショザンサマ、ハツマサマ
アタゴサマ、イホリノタキ
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水利について
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村の名前
古瀬
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使用している用水名
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用水源
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共有している他の村
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オオイデ
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(しこ名でツメンフチ)
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鳥巣
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村の配水の慣行・約束事
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昔の水争いの有無
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どちらも無い。配水も自然と決まっている。昔から水は十分にあったので、水の多い時は流せるだけ流す。1軒1軒に水があるわけではなかったので、水のあるところ(川、水路)に集まって洗濯などをしていた。小字古瀬内を通るとき、部落上古瀬と肥の口とで分岐する。その場所で飲み水として利用する。
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村の名前
古瀬
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屋号
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小字古瀬のうちに
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シンヤ、ホンヤ、ヒケジ、(田中、青木)
マエ、ウチ、ウラ、カミゴセ(国分、寺岡、原田)
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祭祀について
村の名前
古瀬
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時期
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毎年10月5日
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場所
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倉坂神社
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内容
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村の中の4つの部落、肥の口(小字古瀬のうち西側)、上古瀬(小字古瀬のうち東側)、上中原、上戸房、それぞれが当番制で1年交代で世襲していく慣行となっている。
当番となった部落は、しめなわを作ったり、昔は部落の代表の家でご馳走を作ってみんなに振舞っていた。現在では、しめ縄作りは今も変わらず行っているが、代表宅で食べるのではなく、神社境内でみんなに折詰(弁当)を振る舞い、神主と酒を酌み交わすことが慣行となっている。
神社では、神主もしくは神社の者が神楽をまったり、弓矢を的に当てたりする行事がとりおこなわれる。的に当たった弓矢を家に持ち帰ると、その家には良縁が舞い込んでくるという言い伝えがあるので、結婚適齢期の子供のいる家は競って持ち帰ろうとするのだという話である。
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1日の行動記録
10:30 古瀬村到着
10:30〜11:00 平原・古瀬・中原で古老のいる家を聞くために、近所の家々を訪問
11:00〜11:30 青木さん宅で聞き取り調査
11:40〜11:50 国分さんに聞き取り調査
12:00〜12:50 田中さん宅で田中さん、筒井さんに聞き取り調査(後でわかったが、筒井さんは田中さんの親戚で、筒井さんと青木さんは兄弟とのこと)
○古瀬とその近辺で収穫されるみかんの種類と収穫の順番
春から夏にかけてを起点とすると、
ハウスみかん(本かんおん)→早生みかん(弱かんおん)→うえの→レギュラー(2.5kg毎でカナダへの出荷用)→中性→普通おんしゅ→山下紅みかん→いよかん→清見(きよみ)→でこぽん→はっさく→あまなつ→いよかん→ポンカン→まどか→こみかん→だいだい→ばんぺいゆ→すいしょぶんたん→黄金柑(福岡の岩田屋と東京の2店にしか出荷しない。ピンポン玉位の大きさで1個200円)→あんせいかん→ざぼん→レモン→ゆず→こなって 全24種
話によると、作物はなんでもそうだが、(ここでは)みかんは、愛情を注いだ分だけ、手をかけた分だけ、自分にその成果を返してくれるのだそうだ。雨で仕事のできなかった日は、晴れた日にみかん1つ1つに謝り、豪族が旅行などで出かけて留守にするときなどは、お土産がわりに肥料を買ってきてそれぞれに与えてやるのだという。
上に書いてあるものも、教えてくださったその口調はよどみなく、その顔は愛情に満ちたものだった。
鉄塔の移動
地図中に示してはいるが、最近になって村中の2つの鉄塔が取り壊され、南の方(小字小谷元、名所のうち)に新たに建て直された。
その他の変遷
倉坂神社近く、しこ名サボコイシの辺りには元々発電所があり、この辺り一帯では初めての発電所で係員もいたということである。
サボコイシは前にもあるようにサボと呼ばれる沈み橋のことで、しこ名オツタワライシ近くを流れる川にかけてなったサボが水害で流れてしまったために新しく作り直されたものである。
しこ名由来
土地所有者の人名から名づけたもの
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ナカノ、ナコダ(なかおだ、から)
アンシャンバタケ
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その地で特に目立ったものから名づけたもの
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タワライシ(太くて大きな石があった)
イッポンマツ(見事な一本松があった)
イホリノタキ(お宮の跡がある)
ナナマガリ(道路のカーブ数から)
サンカクベラ(地形が三角形)
ヒロバ(見た目の様子)
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古瀬村はとにかく、水が豊富できれいで、争いごともなく、農家にしては嫁の貰い手にも困らない、良い町だと口を揃えて誰もが言っていた。聞き取りをした家族だけなのか、村全体の憶測なのか、特に決まってはいないということだが、養子制度があるのだという。とは言っても主に親族のあいだのことなのだが。この家は息子さんが15歳の時に迎え入れ、我が子は2歳で手放したそうだ。普通は養子となる子の同意のもとで行われるという。
親子2代、3代で農業を行うために、自然と父親に対して息子は競争心を抱くものだという。そのため家族間で争いを起こさないためにもそれぞれの仕事には口出しをしないし、母親は譲られるだけの仕事(会計、経理)などを早いうちから譲るそうである。息子の朝寝が過ぎていても口出しせず、自分が黙って仕事をこなすとその分だけ余計に息子も仕事をする、そういうものだ、ということである。
何しろ平和だから、家にも鍵をかけない。私たちが訪問した家々も畑仕事に出ていたらしく誰もいない様子だったが、戸だけは開いていた。最近でも盗まれたのはバイク1台と車に置いてあった品物数品くらいのものらしい。
感想
調査当初は一見高齢でしこ名を知っていそうだと思えた方でも、しこ名を知らないとおっしゃっていて、不安な出発だった。とにかく、最も印象に残ったのは、「忘れられた日本人」にも書いてあったように、養子制度が残っていたことだった。しこ名が忘れられていき、字名すら覚えていない人も多い中、そうした旧来の制度が今も残っていたからである。
私たちの身近な生活の中にも、そのような一見当たり前のようで、実はその地域独特の慣習はないか、意識を持って過ごしてみようと思う。