呼子町 加部島 片島 話者:北村直敏(昭和6年生まれ) 調査者:岡部洋一、渡邉佳世子 しこ名
・草切り場 昔 部落の所有 現在 町の所有 税金対策の為 ・水の水利 水田に必要な水は昔は溜池(ツツミ) 村全体の共有であり話し合いで流す日時の決定を行っていた。 中には決められていたよりも、田の水を入れる口を大きくしている人もいた。 現在は唐津の松浦川からの水を海の下を通して農業用水を引いている。 橋ができてから店ができ、大量の水を一日で消費してしまう。 →1994年の大干ばつがあった時は時間給水であった。 片島地区は農業協同組合に入っていない。 農協に入っている加部島地区はスプリンクラーで給水があった。 今も昔も加部島全体には水の問題が残っている。 ・村の耕地 段々畑よりも平地の方が田は良い。 農業用水よりも溜池を使っている田の方がよい。 化学肥料が入った後は、みかん、タバコの栽培ができるようになった。 ・漁業について 片島・加部島の両地区は決して互の領の境界までしか漁を行わなかった。(現在も) ・村の過去 米以外では漁業が盛んであった。沖合漁業でのイカ釣り、ニボシ作り、等 昔は高校に行かずに家業を継ぐ者が多かった。 片島は長崎を通っていく船の駐留地となっていたため栄えていた。 大きな家や売春宿があった。 当時(大正)では珍しいコンクリートの舗装が道路にされていた。 ・村の今後について 現在はほとんどの人が唐津の高校に行く。 長男の人はほとんどが農業を継ぐことが多いが、漁業は後継者が不足。 国が奨励金を出しているが今20代の人は2人ほどしかいない。 藻島は加部島・片島が半分ずつ所有しているが、片島は赤畑の境界までしか漁をしない。 税金対策のため、多くの土地が部落所有から町所有へとうつった。 現在は過疎化が進んでいる。 ・村について 天狗岳の鳥居は島出身の東大出身の弁護士さんが寄贈した。 |