農村・山村を歩いて考える

1LT97140本田みどり

1LT97144 松木亮子

加部島

〈加部島の水利〉

加部島は、小島にもかかわらず、湧水が豊富で、水に不自由したことはなかったという。大体、15年おきぐらいに干ばつがあったらしく、万一、水が不足した場合は、となり近所から分けてもらうなどして、補っていたそうだ。また、小さい溜池を作り、雨が降ったとき、雨水を貯めたりもしていた。しかし、主に水は井戸水が使われ、井戸は各家にあった。中部の方の井戸水は豆腐が作れるほどきれいな、塩分のない水だったそうだが、杉の部落の方の井戸水には塩分があったらしい。井戸の深さは大した深さではなかったそうだ。そして戦後、浄水場が造られ、おちょうず川から水をポンプアップし、その水を浄化して、各部落へとまわされるようになった。

 

〈しこ名一覧〉

田畑

小字 鉢ノソコのうちに

@     ハルノサカ

A     パンジャク(名の由来不明)

小字 大久保のうちに

B     オオクボガワ(大久保川)

(「川」がつくが、川ではない)

小字 杉のうちに

C     イケス(イケシ)

小字 出口のうちに

D     ナガタ(長田)

小字 西のうちに

E     タテマツ

F     イワノマエ(イワンマエ)

その他の小字のうちに

G     ツイタ

H     イビタ

I     うんばでい(牛に草を食べさせていた)

J     アラモノサカ(アラモノ坂)

K     オオタ(大田)

L     コダンノロ

M     コダオニノクチ(小田鬼ノ口)

N     コダ(小田)

O     アラモ

P     オザキ(尾崎)

Q     セギヤ

R     ウラ

S     テンドウノシタ(天童の下)

㉑ジュウロッコク(十六石)

㉒マガリ

㉓シノハエ

㉔タノシタ 又は ウオミ

㉕ツジ()

㉖ヒラノケ ヒラタケ

その他の地名

小字 鉢のソコのうちに

@     オバセ

A     ツイタノハナ又はダイバ(ツイタノ鼻、台場)

  由来:天照大神がここに着いたから

台場:バルチック艦隊を迎え撃つための砲台や見張り所があった。捕鯨のための山見もあった。

小字 杉のうちに

B     スダレマツ 又はスダリマツ

 

小字 小濱のうちに

C     オバマ

その他の小字のうちに

D     ツナウチバ(網打ち場)

 由来:船の網をここで打っていたから

E     ハゼンタニ→元、造船所があった。

F     アカバタケ

G     モシマ(藻島)

H     ゴヤ

I     ハタオリジャ ハタオリジョ

J     ウジナシ

K     ムシノコブラ ニシノコブラ

小字 鉢ノソコのうちに

@     ツルテイシ(ツルテ石)・・・ハンチングの形のような岩

A     タテイシトウダイ

 由来:団子のように積み重ねたような岩がある

B     キツネヅカ

小字 杉のうちに

C     ワクドイシ(ワクド石)

 由来:カエルが這ったような形の岩があった。

    捕鯨のときは、おみきをあげていた。

Eゲンネボトケ=ホトケ岩(ゲンネ仏=仏岩)

 →おばあさんが座っているような格好の岩がある。晴れそうな時は顔の部分が乾き、雨が降りそうな時は濡れたので、天気予報に使った。

D     オチョウズガワ(お手洗い川)

 由来:天照大神が手を洗ったという

E     ツツミ

F     ヒョウタンイシ(ヒョウタン石)

 由来:ヒョウタンが逆さまになっているような形の岩だから。だから、加部島にはお金が貯まらないと島の人たちは言うらしい。

G     オオギガワ(扇川)

 由来:岩壁のしたにあり、人が手を広げたぐらいの大きさの扇形のくぼみである。深さは1mぐらいである。いつも水が溜まっており、水が切れたことはなかったそうだ。旱魃の時には、加唐島からここまで水をもらいに来る人もいたそうだ。

     

 

〈加部島の捕鯨について〉

加部島では、昭和22,23年ぐらいまで、臨時の仕事として捕鯨が盛んだった。加部島の天童岳など、高いところにはやまみがあり、若いものが交代で合図がないかどうか見張っていた。鯨が見つかると、すぼし(のろし、煙)があげられ、小川島に連絡が行く。そして、小川島の人が捕った鯨を加部島へ運び、海岸で解剖していた。鯨が捕まると、たくさんの人が見物に来ていたそうだ。呼子から見に来る人もいたそうだ。その人数はロープなどを張って制限しなければならないほどだったそうだ。鯨の大きさは60尺(18m)ぐらいで、12月初めから4月ぐらいまでの間に12,3匹取れたそうだ。すぼしによる連絡は小川島からあることもあったそうだ。すぼしは、薪を炊いた煙だったそうだ。天気がいい日はすぼしの代わりに旗を上げることもあったそうだ。

 

〈加部島の農業・漁業〉

加部島は半農半漁だそうだが、現在はどちらも不振ということである。しかし、主に中心は農業で、麦、いも、にんにくが主流で、開発により、いちご、甘夏も作られている。現在、甘夏は生産組合員の人たちにより作られている。

 

〈港について〉

加部島には、片島港と加部島港があり、昔は片島港には大型船が多く停泊して、とても賑やかだったそうだ。加部島港には、漁の船が主に来ていたそうだ。

 

・話をしてくれたおじいさん・おばあさん

 岡部兼雄さん 大正10年生まれ

 松渕のぶひろさん 昭和8年生まれ

 松渕イソさん 明治44年生まれ



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