現地調査レポート/佐賀県/唐津市浜玉町/今坂
1LA97047■ 内野美穂
1LA97106■ 小早川真理
田中幸一郎:大正3年生まれ
脇山ジツエ:明治43年生まれ
村の名前
今坂
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しこ名一覧
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田畑
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小字
今坂のうちに
注)以上には
タテイシ
イワダ
細迫(ホソンザコ)
のものが含まれる
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ホカドノ
ハラダ(原田)
ムダ
カミナゴウ
ジョウゴ
カンノンザコ(観音迫)
ウダ
サンシュク ウラダ
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ほか
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小字
今坂のうちに
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オオソマ(大杣)
カナクボ(金久保)
ホリキ(堀切)
シタガマエ
ミョウジモト(明治元)
チカミチ(近道)
コソマ:スギ
タイライシ
ナイシ
シカノ(鹿野)
タケ
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村の名前
今坂
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用水の名前
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用水源
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共有しているほかの村
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不明
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大杣川
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今坂ほか、下流の村
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昔の配水の慣行・約束事
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昔の水争いの有無
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水を全部とってはいけないことになってはいたが、実際には下流のほうでは水が足りず、米のできが悪かった。
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聞いたが、答えが返ってこなかった。左の理由から、下流の村とはあったかもしれないが・・・
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○地名の由来
タケ:今から300年ぐらい前、タケの人々は信心深い人で武雄神社に月参りにいけなくなり、「家から拝ませてください」と、武雄神社の方に祈った。するとその夜、神様が夢枕にたち、「私の方から参りましょう」といって、後光がさしたので、その人は今坂に神社を作った。だからそのあたりをタケオもしくはタケと呼ぶ。いまでも神社総代が年に一度武雄神社にお参りに行く。
・地図上の武雄大明神がその新しく作った神社である。また、神社に伝わる話は、この話と少し違う。
ホリキ(堀切):山を掘りきったのでホリキ。
○村のこれから
雨が降りだしたことから詳しくは聞けなかったが、話の中で出てきたことから。
昔、今坂はそのあたりで一番人が多く、組の活動が大変だったので、7組にわけた。大杣組、小杣組、東組、中組、金久保組、堀木組、したがまえ組、このうち中組と小杣組は昭和42年に廃止される。どうやら人口が減ったらしい。また、昔は今坂のあたりは水田が多かったが、戦後、その殆どはみかん畑になった。昔、水田だったところが、今はやぶのようになっているところもある。今坂以外の地区(大江など)に耕地をもち、おもにそこで耕作する人も多いらしい。
○田中ふく右衛門さんの溜池のはなし
今坂では水が少なかったので、下流のほうでは、あまり米がとれなかった。そこで区長をしていた田中ふく右衛門さんが大きな溜池を作った。戦時中だったので人手が足らず、朝鮮人や部落の人、高校生なども働いた。この話をしてくれた古老も、戦争に行く前だったので、作業に参加したらしい。
田中ふく右衛門さんの記念碑もあるそうだ。
○今坂の金持ちの話
今坂には平原で2番目の大金持ちがいた。しかし、その息子は放蕩息子で、鉄砲や女に金
をみつぎこみ、村一番の貧乏になってしまった。今はその息子が苦労している。
という話を、古老はちょっと楽しそうに語ってくれた。
今坂には、昔、鉄砲講があったらしいので、その息子もそれに入っていたのかもしれない。
1日の行動
最初区長の田中さん宅を訪ねた。しかし、家族の方も留守のようだったので、一旦、公民館まで下りる。公民館の前の酒屋さんで、大江でシソの栽培をしている脇山さんの電話番号を調べてもらったが、わからなかった(田中さんの近所の筒井さんも電話をかけてくださったが、今坂の家は留守だった)。酒屋さんに警官が立ち寄っていて「今日は何があるんか」と尋ねられた。たしかに普段静かな町にバスが2台も来て、そこここで若者がばらばら降りてきたらあやしまれても当然かもしれない。酒屋のおばあさんに「そこらの年寄りに聞けばわかるよ」といわれて再び坂を上がる。偶然庭に出ていた人がいたので詳しい人はいないか尋ね、田中幸一郎さんを紹介される。田中耕一郎さんは公民館が今の建物に改築された時の区長だった方で、詳しく教えていただいた。名前を聞き忘れ、あわてて引き返し(1分以内だった)だが、すでに畑に姿がなかった。
昼食後ほかに詳しい人はいないか尋ねながら、田中さんの名前も聞き出した。ほかに詳しい人が田中敬太さんという方で訪ねてみたが、留守だった。隣の家の方にもいろいろ尋ねたが、よく今坂の家の玄関にかかっている土鈴のようなものが英彦山のお守り(今坂の人はよく参拝するらしい)だということしか分からなかった。
坂を下る途中で、今坂神社に立ち寄り由来書を読むと、田中幸一郎さんの話と多少違う部分もあった。田中幸一郎さんの家で年齢をきいて、今坂の入口まで下りる。入口付近の家で話を聞こうとしたが、「向こうの方に年寄りが多いからそっちへ行ったら」と言われて、指差された方向に向い、脇山のジツエさんに話を伺ったが、お嫁に来た方なのであまり古いことには詳しくないとのことだった。ウラダの位置の確認に手間取り、時間になった。