佐賀レポート
調査者:田中充久(1LA97155■)
シラキジョルジ(1LA97135■)
協力者:川崎八州博さん(浜玉町議会議員、教育民生委員)
台風のために調査が一週間延期になり、それに伴って班の中でペアのチェンジがおこなわれ、新メンバーで佐賀調査に行くことになった。そのメンバー2人ともが最初のペアに頼りきっていたため現地についてからが大変だった。
まず、3人とも佐賀県の道路地図を用意していなかったため、バスから降りたところが全くわからないし、どちらの方向へ言って良いかも見当がつかない。調査用の地図や住宅地図を見てみても、今いる場所は載っていない。このままではいけないと思い、近くで農作業をしていた人に尋ねてみた。ところが、こちらの言い方が悪かったようで、浜玉荘の場所を訪ねたのに、なにか似たような名前の施設の場所を教えてくれた。そのことに全く気付かなかった自分たちはその場所へいき、調査用の地図や、住宅地図と照合してみたが、何かおかしい。よく見たら施設の名前が違うと気づき、また別の人に尋ね、気を取り直して出発したが、途中小さい道に入ってしまい完全に迷ってしまった。これまでに、経過した時間は、約2時間。このままでは日が暮れてしまうと思い、結局近くのショッピングセンターからタクシーを呼ぶことにした。
目的地の管の谷に無事到着し、公園で昼食をとった事前に手紙で連絡できなかったので誰を訪ねていいかわからなかったが、公園の隣に浜玉荘が有り、そこに多くの年配の方がいたので、昼食をとり終えているのを確認し、訪ねてみた。
浜玉荘の人たちは自分たち2人を温かく迎え入れてくれた。管の谷の長老らしき人に紹介してくれようとしたが、あいにくその人は、留守だったので、その隣の川崎八州博氏を紹介してくれた。
川崎さんにさっそくしこ名のことをお尋ねしたが、管の谷周辺では、1970年代前後に田圃をみなみかん畑に変えてしまったので、田んぼはなく、しこ名もなくなったと言われた。それでも何かありませんか、とこちらが尋ねると、屋号ならいくつか残っているとのことだった。その屋号について聞くと、屋号はある場所を示す言葉で、しこ名みたいなものと言われた。
しこ名は収集できなかったので、かわりに屋号を記載しておきます。
小字が野田、管の谷周辺の屋号
はしもと、やまだぐち、しっただ、ふじのと、くぎの、ごまだ、おおまた、どきて。こまた、ひらのやま。ひえいだ、でみず、さんただ、あまのつづみ、しんやしき、はしで、からきざこ、なかのせぞ
以上のような名前を川崎さんは教えてくれました。
屋号のことを教えていただくと、次に水のことについてお尋ねした。管の谷周辺は水が豊富であり、大きな水不足はなかったらしい。だが近くの村では水不足はあったという。水の確保については、山の上から流れてくる水をおもに使用していて、また溜池が2つあるので維持に水が大量に必要であるために、節水を心がけたり、地下水のくみあげを行うなどの苦労もあると言われた。
ほかの村との水争いはなかったと言われたし、また3年前の大干ばつもそんなに困ることはなかったと聞いたので、この地域の水問題は深刻ではないとわかった。
川崎さんのお話が終わったあとで、また浜玉荘に戻り、たに以外の水の状況について尋ねても、水不足や水争いはないと言われた。このあたりは川の水から十分に水を確保でき、また地下水も豊富といことなので、水が大きな問題になったことはないということが知ることができた。
管の谷周辺で使用している2つの溜池の名は、長石(ながいし)、白原(しろば)と教えてもらった。
それから焼畑のことについてお尋ねしたら、昔はやっていたが今は特にやっていないと言われた。
その焼畑は農業のためというよりむしろ雑草を枯らすためにやっていたらしい。
祭祀については特に聞かなかったが、家の中には神棚が飾られていた。
以上が調査の結果であるが、聞き忘れていたことが多くある。道に迷ったりして焦っていたこともあろうが、一番の要因は事前にきちんと資料を読んでいなかったからだと思う。
今回の調査はいろいろ反省しなければならないことが多くあり、大変自分たち二人は勉強になったと思っている。
調査の目的は十分に果たせなかったが、今回の調査を通じて貴重な体験をすることができ多くのことを学べたので意義のあるものであったと思う。