現地調査レポート/佐賀県/唐津市浜玉町/辺保

 

1LA97004■  朝稲忠信

1LA96226■  宮内洋子

 

聞き取りした人の名前

 岩宗富美子さん S40

 岩宗力さん   S13

   ミエコさん S9

 

○しこ名一覧

村の名前

小字

しこ名

辺保(ヘボ)

辺保(ヘボ)

ウラ()

ウランタニ(裏谷)

ヤボグチ

ヨスケダ(好助田)

(ツジ)

フジオ(富士央)

ハルダ(春田)

 

フカサコ(深迫)

東井戸原(ヒガシイドワラ)

トノンカゲ

ワスダ(ワセダ)

北井戸原

イドワラ(井戸原)

 

○村の水利について

 用水源

・飲用水・・・お宮(邊保木神社)の近くをボーリングして出てきた地下水を利用している。

・農業用水・・・南部の田では後川内川(うしろこうちがわ)から水を引いてきている。

      フカサコでは東にある山からの水を利用している。

      トノンカゲは標高が高いため、山からの水を利用できず、北東にある山から水を引いてきている。

      配水に関する慣行・約束は特になし。

      高いところに位置する田から順番に水を入れていく。

      過去に水争いはなかった。

 

1994(平成6)の大干ばつについて

・水が足らないため、田植えの時期が遅れた。

・山の水(自然の出水)を利用していたところでは、田植えが出来なかった。

 

○その他聞き取りの結果

・キイノ(切り野)はなかった。

・肥料は、昔は草を使っていたが、今では使っていないらしい。

 これは田植えの時期が早くなり、草が十分に伸びなくなったからである。

・裏作はなく、年に米を1回作るのみである。

・昔は畑で大豆、小豆、麦なども作っていたが、今では麦もつくっていない。昔は、しょうゆ、みそ、酒など自給自足していた。

・かつて、湿田であった場所を埋め立てて、ビニールハウスをたて、花などを栽培している。

・農家の数は減ってきており、以前は10軒ほどあったのが、現在では6軒になった。田も荒地になったりして数が減ったらしい。

・圃場整備後は、それ以前に比べ、田んぼの大きさが大きくなった。

・良田、悪田の差はほとんどないが、イドワラの米がウランタニやハルダ、ヤボグチの米より少しだけおいしいかもしれないらしい。

・お宮(邊保木神社)は部落の守り神であり、その周辺の土地(50a)は共有地として村人皆のものになっている。

 

712日行動記録 in辺保

AM.  8:15  六本松キャンパス集合

      8:40  六本松キャンパス出発

     10:00  佐賀県浜玉町おさかな村にて休憩

     10:40  浜玉町辺保に到着、岩宗寿彦さん宅に伺うが詳しいことはわからず。

     11:00  岩宗久須夫さん宅に伺い、在宅しておられた岩宗冨美子さんにお話しを聞く。

     11:40  近くにとめてあるバスに戻って昼食をとる。

     12:30  昼食前にお話を聞いた岩宗冨美子さんに勧められて、岩宗力さん宅を訪問。力さんと奥さんのミエコさんが応対してくださった。ここで多くのしこ名、用水の水源などをうかがうことができた。特に興味深かったのが、鳥巣の方の話で、しこ名には直接関係ないが、「五輪堂」という昔の侍などが追われて、行き倒れた跡に関するお話だった。(別紙に詳記)

PM.  1:30  お話を聞き終えて、岩宗力さん宅を出る。コーヒーなども出していただき、大変親切にしてくださってありがたかった。

      1:40  辺保の入会山になっているという、邊保木神社周辺の山に行ってみる。お宮の少し前に、山からの地下水を引いていると思われる用水を確認。お宮はきちんと手入れしてあり、村の守り神だと力さんがおっしゃっておられたのがよく分かった。

      2:00  調査を終えてバスに戻ってくる。山の中でどうなることかと思ったが、すぐ近くにバスがとめてあってとても運がよかった。その後、少しバスの中で調査結果を確認。

      3:00  服部先生たちがバスに戻ってきて、帰りのバス出発。

      6:00  六本松キャンパスに到着。解散。

 

○岩宗力さんの不思議なお話

@鳥巣分校の怪

鳥巣分校は8年前まで現在と違う場所にあった。しかし、敷地面積が狭いからということで平成元年に現在の場所へ移転した。ところが、分校が移転した直後から、分校周辺で怪奇な出来事が起こり始めたのである。その一例が車のエンストである。分校前にさしかかると、どうもエンジンの調子がおかしくなることが相次いでおきた。一度などはエンジンが止まったので、調べようとボンネットを開けたところ、ガソリンが勢いよく吹き出したということもあったそうである。不審に思った村の人たちがおはらいの人に調べてもらったところ、現在の学校の建っている場所は、元は墓地で、学校移転の際にきちんと他の場所に供養したつもりが、まだ残っていて、このようなことが起きたのだろうということだった。きちんとおはらいをしてもらったところ、それ以後、前のような出来事は起こらなくなったそうである。

 

A五輪堂

次に力さんが話してくださったのは、「五輪堂」というものの存在だった。何でも、佐賀の山の中には、追討されて逃げのびてきた落ち武者が行き倒れになった跡にたてられた五輪堂と呼ばれるものがあちこちに点在するというのである。私たちもお話を聞きながら、あまりよく分からなかったのだが、その五輪堂なる石が山の中で倒れていたりするのを、何も言わずに起こしたりすると「さわり」があって、その人が病気になったりするのだそうだ。だから、五輪堂らしきものを山の中で見つけたときは、ほうっておくか、「起こしますよ」と一声掛けてから()起こせば、「さわり」はないのだという。不思議な話もあるものですね。山の中を歩く服部先生も気をつけてください。



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