現地調査レポート/佐賀県/唐津市浜玉町/五反田
1LA97027■ 磯部貴志
1LA97034■ 今村一樹
・協力してくださった方々
小形剛(おがたつよし)さん 昭和7年生まれ 地元の農家
田中稔(たなかみのる)さん 昭和10年生まれ 地元の農家
川崎護(かわさきまもる)さん 昭和8年生まれ 生産組合長の父
行動記録
10:30 五反田到着
10:50 小形剛さんのお宅を訪ねる
11:15 小形さんの紹介で圃場整備前の地形に詳しい農家の田中稔さんにお話しを聞く
11:45 生産組合長の父親である川崎護さんを紹介される
11:50 昼食休憩
12:30 川崎護さんのお宅を訪ねる(13:20頃までお話しを聞く)
13:20 川崎さんに区長を紹介される
13:45 区長を訪問するが、あいにく留守のため断念する
14:30 他の農家を訪ねさせていただく。集合場所に戻る
○玉島村(昔、ここら一帯は全てこの名前らしい)
−しこ名−
・ゴタンダ(五反田)
・ダイモン(大門)
・ヒキチ(引地)
・シロヤマ(城山)
・ニオウ(仁王)
○田畑
・小字 五反田のうちに サカタ(坂田)
・小字 仁王のうちに シマダ(島田)
・小字 大門のうちに シンデン(新田):昔はよく玉島川の氾濫でこの田は荒らされていたらしい(川崎護さんより)
タシロ(田代)
・小字 城山のうちに イナヨシ(稲吉)
ヤマダ(山田)
○用水 ・小字 仁王・五反田のうちに 井手端しいど
○橋 ・小字 五反田のうちに ドンドン橋
○堤
昔、玉島川はよく氾濫して周囲の田畑に影響を与えたらしい。(特に新田)そこで人々は被害の大きかった地域の川沿いに、「ハゼの木出井」という堤を造り、水害からまぬがれることができたらしい。(川崎護さんより)
~水争いについて~
今は圃場整備で消えてしまったが、当時の「井手端しいど」は、玉島川から十分な水の供給をなしていたため、目立った水争いはなかったらしい。