【東松浦郡七山村柳瀬】 歴史と異文化理解A 現地調査レポート 1LA97024 石田倫識 1LA97272 山口浩樹 ○調査協力者 小形敬太さん 大正12年1月生まれ 74歳 小形一男さん
a しこ名 ハンベイダD ツラワリA ヤマタ× キリノキ@ サカンタB タジロC 田畑 柳瀬 キリノキ@、タジロA 柳瀬には現在では1つも田は残っていない。多くはミカン畑変わったそうだ。 坂ノ平 ツラワリA、サカンタB 柳瀬と同様に田はそれほど多くない。 日ノ隠 ハンベイダD 比較的田も多いようだ。大干ばつの害を多少は被ったそうである。 山 エノキダ 川 柳瀬 ナガレガワ 柳瀬を含むあたり一帯の用水の役をしており、水に関してあまり問題になったことはないらしい。 屋号 柳瀬 ナカジロ(八頭) 柳瀬には、屋号はこれ1つしかないとのことだった。
b 用水について 柳瀬を含めて、坂ノ平、日ノ隠、船木などは、以前から田んぼの数は非常に少なかったようである。また、周りに川が流れているため用水に関しての争いなどはなく、近年の大干ばつについても、小形一男さんはあったことを知っている程度であった。 小形敬太さんの話では、日ノ隠では現在も田んぼがいくつかあり、多少の影響を受けたそうだが、取るに足らない経度であったらしい。柳瀬では、現在田んぼはなくミカン畑のみなので、全く影響はなかったそうだ。敬太さんの話では、ナガレガワという柳瀬のかわから以前は水を引いていたそうだ。水についての争いがなかったので、水の利用方法についても、特に規制はなかったそうだ。
(2)しこ名について調査の結果、しこ名は全部で6個知ることができ、そのうちのヤマタについては、地図に落とすことができなかった(地図省略:入力者)。 敬太さんに聞いたしこ名は@からDまでである。 一男さんに聞いたのが。 ADにヤマタである。ツラワリとハンベイダについては、両者とも言っており、地図の場所も信頼できるものであると思う。一男さんに紹介され敬太さんの家に行ったのだが、両者ともしこ名については、現在はあまり使われていないので忘れているものも多くあるそうだ。タシロCについては敬太さんの家のすぐ後ろで、現在はミカン畑となっている。何十年か前にみかんブームがあり、ミカン畑ばかりなったそうである。 また、一男さんの話では、ハンベイダとヤマタは、同一の田んぼであり、違う呼び名がついていたようだ。これは確かなことでは無い。
d 調査を振り返って 当日は1日中天気が悪く、強い雨も降っているので、大変だった。住宅地図を持っていったが、名前が一致しないところがあったため、食堂に道を尋ねに入ったところ、そこが区長である小形一男さんのお宅だった。思ったより若かったので全くしこ名当のことはわからないかと思ったが、ある程度ご存じであった。 また、ここで特に印象に残ったのは、小形家は、毛利元就の家計を注いでいるらしく、家紋も毛利家と同じだと誇らしげに語っていたことだ。 その後、この辺で最も高齢で地域に詳しい人を教えてほしいとお願いしたところ、敬太さんのお宅を教えてもらえた。敬太さんの方が、一男さんより年長であったため、昔のことについて詳しかった。ヤナセは、山間部であって田んぼが少なく、しこ名をつける必要があまりなかったのではないかと思われる。また、田んぼが少ないことに加え、近くに川が流れているために、水問題(争いや渇水など)はなかったようである。数年前の渇水も周辺に水田もないし、ヤナセには全く影響はなかったそうだ。 ちなみに近くの小字の日ノ隠には、干ばつの影響は少しあったそうだ。 また、 敬太さんに地域の慣行となっていることた尋ねたところ、何十年か前は、祭りが頻繁に行われたらしい。しかも当時は、神社が点在していたのが、現在では白山神社という神社に合祀されて、年に数度しか行われていないそうだ。 敬太さんのお宅で話を終え、次に近くに住む吉村さんのお宅を教えてもらい、ちょうど昼になっていたので、近くの料亭に入った。料亭だけあって、我々にとっては高額であったが、看板にも出ていたカニ飯を食べた。ヤナセ一帯でとれる「ツガニ」を入れて作ったご飯で、醤油でとても食べやすかった。川沿いにある料亭だったのだが、店員さんにどこでとれたカニかを聞いたところ、すぐ近くの川で取ってきたカニだと聞いて驚いた。また、小鉢で山菜が出てきたが、それも柳瀬一帯でとれものも入っているそうだ。 昼食後、吉村さん宅へ尋ねたが、ミカン畑作業に出かけているらしく、その上具体的にどこで作業しているか全くわからなかったため、白山神社の近くにあると言う白山小学校行って、古い資料を調べさせてもらおうと思ったが、場所がよくわからなかったので、断念したところで、ちょうど集合の時間となった。 全体的に振り返ってみると、市街地で近所付き合いが薄れるのと同様に、市外でないところでも近所付き合いが疎遠になっているようだった。 とにかくハードな一日であった。
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