【東松浦郡七山村馬川】

現地調査レポート

1LA97103 小園晴美

1LA97282 山脇志乃

○お話を伺った方 川添健一さん 昭和24年生まれ

七山村馬川

 ミヤンマエ(宮の前)

 クンノキ(栗の木)

  テランマエ(寺前)

 シモンカド

 ジュウバル(十原)

 イデンクチ(井手口)

  タケ()

  ミズナシ(水無)

  ユアナ(湯穴)

  ミツエダ(三枝)

  ウシロガワ(後川)

  マツサコ

田畑

 小字下の門のうちに       シモンカド

 小字谷口のうちに           テランマエ(寺前)、ウシロガワ(後川)

 小字松坂のうちに           マツサコ

 小字宮ノ前のうちに       ミヤンマエ、ジュウバル(十原)、ミツエダ(三枝)

 小字松ノ元のうちに       イデンクチ(井手口)、クンノキ(栗の木)

 小字峠口のうちに           タケ()

 小字大菅のうちに           ミズナシ(水無)

 小字唐の向のうちに       ユアナ(湯穴)

屋号

@    居住者名 A屋号 B屋号の由来

@    吉原政光AカシラB立ち並ぶ4軒の家の中で一番高い所にある。

@吉原勉AスギノキB大昔、ここには杉の木があったのではないかと思う。不明

@瀬戸年AクルマヤB精米所を営んでいた。

@瀬戸藤弥AタバユヤB不明

@石橋好之助AハユマB不明

@瀬戸朗AノバルダB不明

@92番地の川添AチャヤB不明

@川添貴美富、川添貴美男AテランマエB西通寺の前にある。

@諸隈正成AキュウヤクバB昔の庄屋さんである。

@青木英治AコウジヤB昔、コウジを作っていた。今は違う人が住んでいる。

@川添泰麿AコウジヤンウエB青木さんコウジヤの家の上にある。

@石橋直樹AシンヤコB不明

@石橋福実AイマミヤコB不明

@嘉村義尚AハチリュウB不明

@川添健一AミヤンマエB馬川神社の前に家がある。区長。

@諸隈善太郎、栗林磯男、両家の間にある家AヤシキB不明

この村には村特有のものかもしれないが、同じ名字の家がたくさんある。したがって、それを区別するためについたのではないかと思われる。しかし、もっと歴史的に意味のあることかもしれない。

村道

 小字谷口のうちに           マツサカタキガワセン(松坂・滝川線)

                                          マノカワクワバルセン(馬川・桑原線)

 小字宮ノ前のうちに       タニガワマツサカセン(谷川・松坂線)

 小字松ノの元のうちに    ヤンバセン(山端線)

 

使用している用水の名前

 「(小字)○○○の用水」などと呼ぶので一つ一つにしこ名はない。山の出水が用水源。

 

昔からの配水の慣行・約束事

 用水はほとんど他の村と共有だが、川などの近くであれば自分の田にだけ個人的に水を引いている家もある。用水の上流の人から順に水をとっていく。5月には水路の掃除をする。掃除は各々でやり、共同作業というわけではない。

 

昔の水争いの有無

  昔だけではなく今も問題になっているのは他の村との争いではなく、用水の上流と下流での水の量の違いである。「上流の人から順に水をとる」ということになっているため、どうしても下流には水が回ってきにくくなる。また、用水路がすべてU字溝ではなく、泥を掘っているだけのところもあるので、ますます下流の水が減少する。5月にはそれぞれで用水路の掃除をすることになっているが、前の家から自分の家までしかみんながしないので家の間が離れている人には大変な負担になっている。

 ※用水の下流に住んでいる人は上のような問題点を指摘したが、上流に住んでいる人は「水争いは無い」と断言した。お互いの意識の上でも相当の差があるように思える。

 

1994年の大干魃をどのようにして乗り切ったか

 タンクに水を汲んでトラックで運んでいたが足りないので灌漑を行った。水がもともと足りないところにある田は干上がってしまったが、どうしようもなかった。

 

祭祀について

 5月と11月に馬川神社で祭りがある。昔は夜店なども多かったらしいが、今は神主さんを呼んでお祓いを受け、酒を皆で飲むだけである。

 

農業について

 今は専業農家がほとんどいないことで分かるように、農家の経済状況は苦しい。今年の雪害ではもうすぐ伐採できるはずの杉がすべてだめになってしまった。国から補助金は出たが、苦しいことに変わりは無い。この農家の現状を少しでも町の人に知って欲しかった。



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