【東松浦郡七山村岳の川(タケンコ)】 歩いて歴史を考える 現地調査レポート 調査者:西田 博
調査日:1997年7月12日(土) 語り部:岩村博基(いわむらひろき)さん50歳 ※岩村氏は20年ほど前から岳の川一帯の田地を地主より借りて小作をしている。 従って、それ以前のことは知らない。なお、小作料は反あたリ1俵余。 集落名:岳の川(佐賀県東松浦郡七山村大宇池原字嶽河) ……大屋敷の人は「タケンコ」と呼んでいた。 小 字:調査対象地はすべて小字「嶽河」のうち しこ名:マエダ(前田ヵ) ……田地3枚 ハタケダ(畑田ヵ) ……荒地(昔は田・畑あり,、畑は2反〜2反5畝ほど) フルヤシキ(古屋敷ヵ) ……荒地(昔は田あり) 水利 @集落のうち、最も川上に位置し、周辺に他の集落はない。川の水は干ばつの時でも涸れず、常に豊富である。川幅は広くて2メートル、平均1メートル、狭い所で、50センチほど(西田が現地で調査)。 水は飲用にもなる。 A従って、水の共有やそれに起因する水争いなどはない。配水の慣行・約束ごともない。 B井手はあるが、名称は不明。上流から順次田圃に水を引く。 地名:山・谷・道・槙・その他に付けられた名前は知らず。 小路:知らず。 古道:知らず。 境界:知らず。 入会山:知らず。 祭祀:@嶽河熊野権現……独立した小山(円頂のよう)の頂上にある。古い石段がある。 頂上には古い基壇の上に、二祠がある。向かって右の祠は古く、人像らしきもの を安置する。左の祠は新しく、「嶽河/熊野権現」と刻む(現地で調査)。岩村氏の話によれば、地主(後述)が祭祀を行っているが、詳しいことは分からない。集落の氏神という。 A弁財天様(ベザィテンサマ……岩村氏によれば、水の神様という。現地での位置は確認していない。周囲の薮がひどいので川の中を進んだが、それでも引き返さざるを得なかった。ただ、地図上での位置は比較的信頼できると思われる。 なぜなら、岩村氏から「祠の位置は川が二股に別れるあたりで、それよりも上流で西岸側」という証言を得ているからである。祭祀不明。 B庚申様……自然石の基壇の上に板状の石を祭る。 文字は確認できなかった(現地で調査)岩村氏より[庚申様]であることを聞く。祭祀不明。 C金剛庚申岩……石碑あり。「金剛庚申岩」と刻む(現地で調査)。祭祀不明。 旧村人:昔は集落に吉原さん2軒、サ藤(サの漢字は覚えず)さん1軒あり。屋号は知らず。地主の吉原さんは現在前原に居住。吉原家が代々岳の川に居住していたかは知らず。それ以上は語りたくないようだったので、無理に聞かなかった。 その他:@フルヤシ牛の南東に石垣あり。長さ30メートル、高さ1メートルほど。いわゆる切込みハギ。南東側が高くなっている。石垣はかなり苔むした古いもの。 なお、石垣の南東側に屋敷があったという伝承はない(岩村氏)。 Aフルヤシキの南の荒他の南、杉村の中に割りかけの石ひとつあり。矢穴あり。 B廃家群のうち、一番南の家は最も立派なもの。2階に火事(小火)の跡があった。一階にはイタチがいた。廃家はいずれも比較的新しく、近世までさかのぼるとは思われない、 |