【東松浦郡七山村井手の上・野郭】

歴史と異文化理解A  現地調査レポート

 

1LA97248 水谷直人

1LA97249 水野順二

○ご協力頂いた方々

市丸ヨシコさん(大正3年生まれ)

諸隈チクシさん(大正3年生まれ)

吉村重彦さん(昭和21年生まれ)

岡本富市さん(明治42年生まれ)

岡本虎次さん(昭和12年生まれ)

加茂西海人(すみと)さん(昭和11年生まれ)

 

行動の記録(7/12)

AM10:30ごろ 現地到着

    10:50ごろ市丸ヨシコさん宅

  11:30ごろ 諸隈チクシさん宅

PM12:00ごろ 吉村重彦さん宅

1:00ごろ 岡本富市さん宅

2:00ごろ 加茂西海人さん宅

3:00ごろ 終了

 

しこ名一覧

七山村

田畑

小字谷のうちに

       フケ……フケにはぬかるみと言う意味があるようで、この土地は昔ぬかるんでいたようだ。

タキガワノタニ(滝川の谷)……この土地が滝川の方面にある。

小字北の前のうちに

   マエダ(前田)……家の前の田のこと

 ソノダ(其田)

水路・井手

 小字谷のうちに

       ヒノクチイデ(日ノ口井手)……太陽()と関係(?)

 小字北の前のうちに

       ソノダイデ(其田井手)……其田のところの井手

       トウジノイデ

 小字向へのうちに

       ムカエイデ(向井手)……小字名と同じ

 小字野郭のうちに

       カジャイデ

       サブタ

       ヒノモト(日ノ本) ……太陽()と関係(?)

山林

 小字向へのうちに

       マルヤマ(丸山)……村の共有の山林(入会山)

小字谷のうちに

       ミヤマエ(宮前)……加茂神社の前にある。。

       カミノフケ……加茂神社の近く。フケはぬかるみの意味。

       カゴワラ(神守原)……神社に近いところに関係(?)

小字井手の上のうちに

       ヒアテヤマ(日当山)……日がよく当たっていたことから

小字井手の上のうちに

       ニタノ(仁田野)……諸隈栄之助さん宅

       ツジ()……諸隈留吉さん宅

 小字野郭のうちに

       シモ()……市丸研二さん宅。野郭のうちで下の方にあるから。

*農業番号を使ったり、上下を使ったりしている。

※補足

小字畑田内に、畑田……小字名と同じ。また、その中にショウセンダがある。さらに奥には竹田(タケダ)、坊田(ボウダ)などがあり、そこへ行く道を坊田道と呼んだ。また、ため池に行く道を、ハシカタ道と呼ぶ。

Q:焼畑、キイノ(切り野)があったか、あったとすれば何と呼んだか。

A:焼畑はあった。名前は特についていない。 3月か4月に火を入れ、夏になって草を刈り、その草を田んぼの肥料にしている。焼いた後にはべつに何も作物を作らない。焼畑は部落ごとに共同で行う。

Q:水田に係る水はどこから引水されているのか。

A:上の方では、ため池から引いており、下の方ではかわから水路を共同で用いていた。

また用水は滝川の人々も使った。

Q:水不足についてはどうだったか。

A: 3年前の渇水の時は影響なかった。それぞれの家に井戸を引いているので生活用水には問題なかった。ただ昭和15年の渇水の時は岩屋の下といれの上で喧嘩をした。井手の取り水口(取水口)が、井手の上の方にあったために、岩屋の方には水があまりいかず、仕方がないので夜中にこっそり水を汲みに行ったりした。また、以前消防用以外に使う水を引く水路を野郭に作ろうと言う計画だったが、他の村から関係のないものに水はやれないと言う反対のもとに中止になったことがある。

 

Q:その他の災害について

A:昭和28年大雨により河川氾濫。その後10年の歳月と1億円の工事費を費やして治水工事を行った。そのおかげでその後河川氾濫はなくなった。

台風は杉の木をなぎ倒す。それ以上に困るのは今年1月から2月にかけての豪雪はるこの雪の重みで杉が倒れてしまった。

Q:米がよくとれたところ、とれないところがあったか。

A:やはり下の方がたくさんとれて、上のほうは取りにくい。

Q:化学肥料が入る前は何を用いたか。

A:堆肥や牛糞。配合肥料も用いた。

Q:どれ位の米が取れたか。

A:1反あたり7から9俵。化学肥料を用いてからは若干減った。

Q:どんなお祭りがあるか。 49日白山神社において春祭り。最近は若い人が参加しないらしい。ちなみに14日には御日ま待ちという新年にお日様を拝むという行事がある。

Q:今日の農業、今後の農業の展望について。

A:今や水田から果樹園にかわり、米作りからミカン作りに変わっている。さらに平成3年からミカンの減反指導が始まり10アール減反に付き、30万円の補助金がもらえるようになり、(今は10アール8万円)ミカン作りからハウスみかん、さらにはナスやキュウリなどの野菜をビニールハウスでつくようになり、ますます水田が消えてゆく。

さらには若者は地元にいても唐津などの都心に就職し、農業を継ぐ後継者が減ってきている。

 

調査を終えて

今回現地調査ということで、佐賀県東松浦郡七山村に行くにあたって、私たちは池上、野郭を任されたのだが、アポイントが取れずに628日を迎えた。しかし、台風がやってきて延期に。その後ようやくアポイントを取って711日に行った。

当日はたまに小雨の降る天候だったが、私たちのところは山道だったので太陽が照りつける日でなくて良かったと思った。 1軒目に突撃訪問したお宅のお婆さんは、「わたしゃよー知らんもんね。」とおっしゃっていた。これはまさか何も聞けずにいちにちが終わってしまうのではと思ったがその後訪問した家々ではいろいろなことが聞けて安心したが、肝心の田んぼがなく、一面果樹園だった。ある家のお婆さんが今建設中のダムについて自然が失われるから悲しいとおっしゃっていたのが印象的だった。

また、全体を通しても後継者がいないということも聞いた。今回の調査で聞いていく水田と、減反し、他の作物に転換せざるをえなくなった農家の人々の寂しさを腹で会見することができ有意義に思う。(水谷直人)

 

調査を終えて

現地に着いてまず上のほうにある野郭に行こうとしたら、いかにも山道と言うべき道を通った。歩けど歩けど田んぼらしき場所が少なく、おそらく田んぼのしこ名は少なくなるだろうと予測していたが、案の定であった。

調査中に気づいたことを書くとすると、まずしこ名を聞く場合、しこ名と聞くより呼び名と言った方がよく伝わった。それから、女性の方に聞いても農業のことについてはほとんど知らなかった。野郭のところでは、女性にしか会えなかったので情報が少なかった。また80から90代の長老らしき人に聞く場合でも、ほとんど記憶が残っておらず、耳のたいへん遠い方がいらっしゃるので、 50から60代の人に聞くのがいいかもしれないと思った。

僕たちの担当地域は田んぼがほとんどなく大変苦労した。昔からどんどん果樹園に変わってしまっているそうだ。しかし、農業はどんどん変わっているけれども、農業の方々の暮らしやのどかな風景はちゃんと残っていて、嬉しく思った。

村の人々は最初僕たちを見て、不思議そうな目で見られていたが、内容を伝えると、いろいろと教えてくださった。大変ありがたく思った。(水野順二)



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