【東松浦郡七山村深入】

歴史と異文化理解A  現地調査レポート

1LA97068  大園一麿

1LA97107 小林顕太郎

1LA97118  坂井優子

村の名前

深入

 唐の向

        コウグチ(溝口)

        スサキ

        コバダ

 西深入

        タダブ

        シモダテ

        マツナダテ

        ゴジュウダ(五十田)

        ナゴサ

 東深入

        フエダケ

 宮の前

        ワラベオ(童尾)

        トナリノマエ

        マンカミ(馬上)

 隣山

        イデンシタ(井手下)

 

聞いた人の名前

 吉村利隆さん 昭和9319日生まれ

 中山福寿さん

 吉村薛さん

 府川和泉さん

 中山忠さん

 

使用している用水の名

名前は特別ない。

川をせき止め水路を作る。

ため池もある。

用水源

深入川

共有している他の村

村単位ではなく34人ぐらいで共有。

昔の配水の慣行、約束事

水利権というのがある。

引水。

約束事は関係者で決める。例えば、水が少ないときは昼間は上の2軒の田んぼに水を入れ、夜間に下の2軒の家に水を入れるなど。

昔の水争いの有無

村の中で水争いがあった。例えば、水不足の時、自分の谷水をたくさん引きたいために、下の家の人々の用水路に汚物を置いたりして水を入れられないようにする人もいた。現在は、ブルドーザーがあるから、少しの水でも大丈夫なので水争いは無い。

1994年の大干ばつ

この地区は水不足はなかった。深入は山寄りなので水は足りたが、下の方の馬川なんかでは水不足があったらしい。

 

村のこれから

深入という村は、深入、下組、中組、谷口、大門、松坂の馬川の6つの村で1番最初におこった村だった。村の起こりは、佐賀方向にある小さな城からの落ち武者がやってきたことだった。その落ち武者たちがこの村を起こした。その後、深入の人たちの生活は田んぼを耕して作物を実らせ、それを用いた物々交換で海産物や日用品を手に入れて暮らしていた。農機具の普及も比較的最近のことらしい。私たちが聞いた人たち全員が村のこれからについて似たような返事をしてくれた。その返事とは、おちぶれるとか、衰えるなどといった答えだった。それは主に村の若い年齢層の人たちが村を離れてしまい、農業関係の後継者がいないからということだった。村のこれからのことは不安だが、自分らはやれる年齢まで農業を続けると、吉村利隆さんが力強く言っていた。村の農業は衰えても、村自体は、住民一族の故郷としてしっかりと存続していくだろうと思う。

古い道

現在の道と変わらないがかなり細かった。 10年くらい前に道を大きくした。舗装されたのは3、4年前。

昔はお米などを馬の背中に乗せて引いていた。

小路など

昔は物々交換で、魚売りの人が村に来て、家の人が出かけたりすると勝手に家に入ってお皿の上に魚を置いていった。そして、次来た時に魚の代わりとしてお米をもらって帰って行った。

 

昔ここは長崎県だった。

 

昔、唐津からここへ来るときは、この辺りで一番高いので、笛岳の山頂を目印にして険しい山道を登っていった。

 

現地調査レポート

六本松の九州大学を8時半にバスで出発した。僕たちが調査する地域は、馬川の深入という所だった。事前の準備で拡大地図や氏名などには目を通していたが、実際の様子は見当がつくはずもなく、バスの中では不安を感じた。しかし、それ以上に修学旅行みたいな気分でワクワクしていた。

11時ごろ現地に到着した。それから地図を見ながら予定通りのコースをたどって深入を目指して行った。途中にある人家には手当たり次第訪問して話を聞かせてもらった。しかし、それらの人家で得られる情報は極めて少なかった。僕たちが調査していた事項は、本当にその土地に住み続けている人にしか答えられないことだったようで、「分からない」、「知らない」、といった答えが相次いだ。僕たちは突然の訪問にも親切に対応してくれた地元の住民の方々に感謝しながら道を進んだ。

深入の中心地は地図から推測していたよりも近かった。それでもかなり時間がかかってしまった。

村について1軒目は留守だった。 2軒目は年配の女性の方が僕たちに応対してくれた。彼女自身はやはり僕たちの質問にははっきり答えることができなかったが、深入にずっと住んでいて、吉村利隆さんという人を紹介してくれた。わざわざその人の家まで連れていってくれた。ちょうどその時留守だったので、そのお婆さんが気遣ってくれてお婆さんの家に滞在させてもらった。利隆さんは直帰ってくるからそれまで私の家になさいと言ってくれたのだった。僕たちがその滞在中に受けたもてなしにはすごく感動した。

しばらく経ってから、吉村さんが帰ってきたので訪問した。この吉村利隆さんは、今までの人たちと違って様々な質問にきちんと答えてくれた。とても親しみやすい人で、いろいろな話をしてくれた。話を聞いた後は、再びお婆さんの家に時間までいさせてもらい、帰りは孫の息子さんに車で送ってもらった。いろいろなお世話をしてもらい、感謝してもし切れないほどだった。

バスを降りて深入向かう途中には、地元の方たちに宗教の勧誘だと間違われたり、大きな犬がなついてきたりといろいろなことがあり、すごく面白かった。何より僕たちの心に残ったことは、村の人たちの親切なもてなしだった。突然の訪問者なのに親切にしてくれたので感謝した。またいつか訪ねてみたい気になった。

 

 

現地調査を終えて

1LA97068K 大園一麿

7月12日土曜日に七山村深入に行った。まず、バス停で降ろされて驚いたことは、いきなり見渡すかぎり上り坂であったことだった。調べてみると、帰りには民家が数えるほどしかなく、本当に調査になるのか私たちは心配だった。そこで、まず手当たり次第民家を訪ねて回り、村について詳しい長老を探しに出かけた。かなりの距離を歩き回り、やっと1軒目の家を発見したので、この家だけで調査が終わればいいけどなぁと軽い気持ちで訪ねたところ、あっさり、「ちょっとわからんねー」と言われ、肩を落としたけれど、まあ次は頑張っていたけれど、行く家すべてで調査は失敗に終わった。そのせいで私たちの気分も沈んでしまい、祈るように午前中最後の民家を尋ねたところ、その家のおばあちゃんが隣の家のおじいちゃんは会長さんで、深入のことについて一番よく知っていると教えてくれて、しかも案内までしてもらい、挙げ句の果てには昼ごはんまでご馳走になり、バスの時間まで家で吸わせてもらって、バス停まで車で送ってくれる、とても感謝感激だった。

会長さんの家では、会長さんは私たちの数多くの質問攻めに対して、ちっとも嫌がることなく親切に答えてくれた。さすが会長さんだけあって、それまでの老人たちは全く字について、そういうものがあったということだけしか知らなかったのに対し、掘れば掘るほど字が出るは出るはの状態だった。結局、私たちは現地調査に成功することができたわけだが、深入で頼りになった人は会長さんだけだったように、多分他の地域でも、もう村についての知識があるのは、ごく少数の老人に限られているだろうから、今後も調査を続けていくのは困難だと思う。



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