【東松浦郡七山村藤川】

現地調査レポート

L1-9 横石正和

1LA97285P 吉井智子

○お話を伺った方 鬼塚カズエさん 大正10年生まれ

 

七山村藤川

しこ名

田畑

城元

佐古の上

タッソエ(立添)

トラコ(虎子)

テラノウエ(寺上)

オオマエダ(大前田)

シュウジ

ナメル()、ハク()、タニ()、ドウバル(堂原)

 

屋号

薬屋、車屋、油屋

 

使用している用水

七山川

 

用水源

ウキダケのある方から

 

昔の配水の慣行・約束事

 年に2度上流の蟹川を堰き止めて川をきれいに整備、工事する。

 

水争い

 なし。蟹川が大きいから。

 

この村はほとんどが水田だった。

 

化学肥料の入る前(肥料は雑草をそのまま混ぜ込んだ)

・良田 1反当たり8俵ぐらい

・悪田 1反当たり45俵ぐらい

化学肥料の入った後

・以前の方がよかった。

・「秋落ち」夏はよくても秋になると思ったよりできない。

 

ガス以前は薪。焚き物の多いときはお金の多いとき。

 

古道……滑から樽角に行く小さな道があった。滑道。

 

村の昔と今

 お嫁にきた時はずいぶん田舎だと思ったが、だんだんいろんなものが村の中にできて、村にいれば用が足りるようになった。車の便もよくなった。

村のこれから

 交通の便が良いとはいえず、冬雪も多い。今高校生は唐津まで行って学校に通わなければならず、大学生になると下宿するので人口は減っていくだろう。人口が増えるとよいと思うが、今と比べて格段にひらけるということはない。

 

今後の日本の農業について

 何といっても問題はやはり後継者。Uターンで農業をする人が増えているのはよいことだ。

 

大幡次男さん 大正12年生まれ

しこ名……?

 

使用している用水

大井手

 

用水源

ウキダケのある方から

 

共用している村

 野井原

 

昔の配水の慣行・約束事

 73部など配分量を決めていた。分水点を平行にする。

 

水争い

 野井原とはよく水争いがあった。

 

屋号

薬屋、綿屋、油屋、長崎屋(商売をしている人がいたので屋号も多い)

高齢者は今も使う人がいる。

 

水田

化学肥料の入る前(肥料は雑草をそのまま混ぜ込んだ)

10a当たり10俵だと最高

・品種改良の前 78または9(1反に10俵ぐらい)。山の上では34俵。

・品種改良後は山の上でもよくとれるようになった。

・戦前はあまり化学肥料を使っていなかった。

 

祭り

 各部落のお客の祭りだけ。ここでは賀茂神社の祭り。

 

昔と今で村が一番変わったこと

 「生活水準」。昔は肉屋や魚屋などがなく全て下からの行商の人から買ってまかなっていた。

 ガス以前は薪。今でも配管はしていないのでプロパンガス。今も水道がない。夏水道が濁る。各家庭の井戸を使う。水道はかからない。

 

3年前の干魃について

 水田の多い時代干魃は大問題だったが今はあまり関係ない。他の所(福岡など)が「水が無い」と大騒ぎしている位の方が災害もなくミカンも甘くなる。

 

水田の多かった時代の干魃

 どうしてもだめな時は大豆などをまく。

 

村のこれから

 そんなに変化はないと思う。特別な観光資源がないので温泉でも掘ってみればお客が増えるかもしれない。車が多くなったので都会から帰ってくる人もいる。

 

当日の行動

8:15 集合して出席カードをもらう。

8:30 六本松発。途中「おさかな村」にて休憩をとり、無事目的地まで到着。

事前にアポイントメントをとっていなかったので、まず目についた客を訪ねてみることにした。

1軒目 あまり昔のことをしらない様子なので、昔に詳しい人の家を教えてもらった。

2軒目 鬼塚さんの家を訪ねる。息子さんも交えなかなかスムーズかつ楽しく話を聞くことができた。

12:00-13:00 昼食。先方のお昼にかからないよう長めに休憩をとった。

3軒目 1軒目で教えてもらった残りの2軒を訪ねてみる。-留守だった。

4軒目 1軒目で教えてもらった残りの2軒を訪ねてみる。-留守だった。

5軒目 この辺りに詳しい人を紹介してもらう。

6軒目 大幡さんの家を訪ねる。奥さんと一緒にいろいろな昔の話を聞かせてくださった。

15:30 大幡さんの家を出る。聞き取りには不十分な時間しかないのでバスを待つことにした。

16:05 藤川発

  反省点 リーダーから渡された地図の範囲が狭く、山の名前が落とせなかった。



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