【東松浦郡七山村細川・平野】

現地調査レポート

1LA97253 蓑毛まりえ

1LA97276 山下 祐美

○お話を伺った方 

 吉村ますみさん 昭和9年生まれ

 青木時義さん 大正10年生まれ

 前田隆之さん 大正11年生まれ

 バス停で会った80歳のおじいさん

 道ばたで会った70代のおじいさん

 前田明雄さん宅の80代のおばあさん

 

しこ名について

七山村細川、平野

 岩名、七良、石仏、長谷、長迫、若菖蒲、登立、向山、休石、堂前、前田、松尾、滝ノ上、宮ノ元、牛頭

*昔から土地の呼び名は変わっておらず、従来どおりの地名が小字になっていた。農村において農民が日常的に使用してきた小地名も細川、平野地区においては小字にそのまま採用されているようだ。

*今度の国土調査で地名の変更があるらしい。

 

水利と水利慣行について

・水田の水は大川から引水されている。

・大川は七山村だけで利用している。そのため他村との争いはなかった。

・水は豊富で水で困ったことはない。

1994年の大干魃の時も水に困らなかったようだ。

・現在生活用水はボーリングを行って地下水を利用するか、山のわき水を利用している。昔は井戸を掘っていた。

・大川の下流の方で洪水が起こりやすい。そこでこの七山村にダムをつくればよいのではないかとおじいさんは言っていた。

七山村には川は一本しかないが、村内での水争いはない。また、川の利用を規定するルールや慣行も存在しない。村民、それぞれの倫理観の問題であるようだ。

(「大川」地図省略:入力者)

 

祭祀について

・細川地区のみだけで行われているもの

・植付がんじょうじ

 植え付けの時期に細川地区の集会場に集まってお酒を飲む。

・祭りの名称不明

 稲刈りの後、細川地区の集会場に集まって今年の収穫について話し合いながらお酒を飲む。

・川祭り

 3月の彼岸に女性だけで行われる祭り。昔は洗濯などを川でしていたので、そのことを感謝する意味をこめて行っている。まず川の掃除をしてお酒を川に流し、その後食事をしたり飲んだりして語らう。

・天神こう

 男性だけで行われる。まず正月の間に三社参りといって太宰府天満宮、田島神社、鹿島稲荷神社に4,5人に分かれて参拝し、お札を買ってくる。そして115日に買っておいたお札をはり一年間の行事の話し合いをする。

 

・上荒川、細川、平野地区合同で行われるもの

・宮まつり

 年3,4回彼岸に神社に集まってしめ縄をつくって飲み会をする。今月は715日か16日に開かれる予定である。

・春の田植えの時期、夏、秋の稲刈りの時期に中山神社に集まって飲み会をして、これからの田植え、収穫について話したりする。

 

屋号について

・川添国雄(細川地区) キリズメ、或いはキヅメ

 昔豊臣秀吉からこの家の娘が言い寄られていたが、この娘がそれを拒んだため切られたことからこの名がついた・

・前田明雄(細川地区) コウジヤ

・青木時義(荒川地区) オック

・前田勝(荒川地区) シンヤ

・前田等(荒川地区) ニシ

・吉岡(荒川地区) ヒガシ

 

シュウジの名前

 存在しないそうだ

 

山道や岩や大きな木など目印になるものに付けられた名前

 細川方面にある大きな二つの石……天狗岩

 今はだいぶ削られて普通の石になっている。

 

七山村になるまで

 シラギ、マノカワ、タケガク、キュウラ、フジカワ、アラカワ、ニブ

 統合されて現在の七山村が誕生

 

昭和45年、馬川小学校など3つの小学校が統合されて一つの小学校に。

 学校道は通らなくなった。1年に1回草刈り(7/10)

 

村の耕地について

 谷間の田は湿田だったので悪田だったが今は減田している。

 戦前は肥料がなかったので牛や人糞を利用したり秋に草をとって春焼いた灰を利用していた。終戦後は配合肥料を利用している。

 

村の道について

 古道は通らないで村道になった。昔は古い道だったが整備されてきれいになった。道幅が広くなり、曲がったところをまっすぐにしたりした。また最近林遊(ママ)ができた。平成4年に粗皮大橋ができた。

 

おじさんのエピソード

 この平野地区を流れる川にはえのはちやつがつがねが生息している。

 他の多くの人たちは井戸水を利用しているが、自分は山からの水を利用している。山からの水は井戸水よりも冷たくてよい。また、山からの水にはきれいな水にしか生息しない「サンショウイワ」という小さい赤い魚もいる。

 このサンショウイワは心臓の薬や寝小便を治す薬として効能があるので焼いて食べている。

 



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