【東松浦郡七山村鮎返】 歴史と異文化理解A 現地調査レポート 1LA97098 黒田哲弘 1LA97108 小林孝裕 ○聞き取りをした方の名前 吉原武雄さん 明治44年生まれ
しこ名について鮎返 アユガエリ(鮎帰) 「帰」がもともとだそうです コトウゲ(小峠) *鮎返は他の集落と比べて新しいところなので、小字としこ名は同じだそうです。
使用している用水の名前 なし 用水源 谷に流れる水 自分の家の井戸 共有している他の村 柳瀬。ただし共有の意識はあまりない。 昔の排水の観光、約束事 なし 昔の水争いの有無 なし 岩の名前 ウマノリゴエ(馬乗り越え) 馬に乗るためこの岩を使ったのでこの名前がついた。 焼畑・キノイはなかった。 シュウジ(小路)はなかった。 1994年の大干魃 1994年の大干魃では谷川の水を少し溜める程度で、ほとんど対策は必要なかった。また、30年前ならどうしようもなかっただろうということだった。 屋号について 屋号はなく、それぞれの家が前、後ろと方向で呼んでいた。 村の耕地について 場所によるコメの取れ具合の差はなかった。 終戦頃まで、裏作(コムギ、大豆)を行っていたが、これは自家用であった。 米のとれ具合 化学肥料が入る以前……5,6俵 資料は糞尿や堆肥。 化学肥料が入った後……7,8俵 たいして変わりはないということだった。 化学肥料は生産組合で分けていた。 入会山 入会山はなかった。村有利(七山村)が多かったため、鮎返共有の山林というものはなかった。共有林が決定する以前は皆が勝手に切り出していた。 村の道 昔の隣の村に行く道……現在の山道。 学校道……現在の国道。 昔使っていた道は、現在ある国道や山道と変わらない道だった。また、鮎返は日田の直轄地であったので、竹やコメを運んでいた。また、年貢を長崎にまで運んでいったこともあるということだった。 祭祀について 鮎返は白山神社の氏子で、年に2回、 2月17日、 8月17日にお祭りがある。但し、白山神社は大字仁部全体の神社である。鮎返では弁財天を集落の神様として祭っていた。それぞれの家の神様というのはいなかった。白山神社で祭っている神社はキクリ姫で、お祭りに竹の皮を使っている。
一日の行動記録 1軒目に吉原宗博さん宅に行くが、吉原武雄さん宅に行くように勧められる。 吉原武雄さんが在宅していたため話を聞く。 3軒目に行くが、吉原武雄さんが鮎返の最長老で、一番昔の事をよく知っているといわれ、調査を終了する。
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