【東松浦郡七山村荒川・上荒川・平野・細川】 歴史と異文化理解A 現地調査レポート 1LA97246 坂元梨英 1LA97267 森木笑美 ○聞き取りをしたおじいさんの名前 青木時義さん 大正10年生まれ 前田隆之さん 大正11年生まれ
七山村の由来 もともと、シラキ、フジカワ、マノカワ、アラカワ、キウラ、ニブ、タケガワという7つの村がここに存在していたが、江戸時代に統合され、幕府の直轄地原料となった。 しこ名一覧 峠、高石、滝山、平石、徳正、藤三郎、松平、一ノ瀬、棚迫、北向平、荻迫、黒仁田、北向、京ノ原、大空、岸高、平石平、上前田、天神前、宮元、牛頭、休石、向山、前田、細川、滝ノ上、松尾、登立など *七山村全図に書かれている小字としこ名は同じということだった。 現在使われている名前は昔のままであり、今度の事調査で変わるらしい。場所は地図参照(地図省略:入力者) 村の名前(シュウジの名前) この辺では古賀というが、名前は存在しない。 屋号 *昔お金持ちの家にしか屋号はなかった。
村の耕地 1 田 谷間の田などが悪田だった。また、峠などは牛が通ることができずにいた。現在、悪田は湿田になったり、減反されたりしている。 2肥料 戦前、特別な肥料はなく、草の堆肥(刈敷)や、牛、人の糞が肥料であった。周辺にある草だけでは足りなかったので、秋に山まで草を刈りに行き、春の田植えの時に使用していた。いろいろなものを燃やし、灰を利用していた。 終戦後は、配合肥料や灰を使用している。
村の道 1古道 現在、人は全く通らなくなっている道と、村道になっている道がある。 2 学校道 以前、馬川小学校があった頃、学校道は存在していたが、昭和45年に3つの学校が中央で1つに統合されて以来、学校道はなくなった。現在は1年に1度草刈りが行われている( 7月10日、滝の山)。地図参照(地図省略:入力者) 3 祭祀 @ 神社 明治末期、細川、荒川、平野にあった神社が1つになった。以前は妙見宮、妙見神社と言っていたが、現在は中山神社と呼ばれている。地図A参照(地図省略:入力者) A祭り 中山神社で春の祭りが行われる。また、彼岸や12月15日にも行われる。 B神様 上荒川……天神様 峠……ビタイ 平野……権現様 4 村に運ばれてきた品物 一貴山峠を越えて、福岡(深江、福吉)から、酒や米、焼酎などが運ばれてきた。また、病院なども福岡へ通っていた。警察は馬川の方にあった。地図参照(地図省略:入力者)
村の水利 使用している用水源 大川 共有している他の村 なし。七山村だけが利用。 昔の給水の慣行、約束事 なし。人々は倫理観に任せていた。 昔の水争いの有無 なし。水は昔も今も豊富で困ったことがない。 使用している用水の名前 昔は井戸を利用したり、谷から取り出していた。今はボウリングなどを行って、取り入れている。 1994年の大干魃について ここは水に恵まれていて、被害などは全くなかった 村の範囲 何を境界として定めているか。七山村は福岡県、佐賀郡、東松浦郡と接しているが、その境界はすべて山の峰である。
<村のこれから>……青木時義さんの話 私たち 七山村のこれからについてどう考えておられますか。 青木さん 私はこの村にダムを造ってほしい。 私たち どういうことですか? 青木さん この村を流れている大川の下流の方では、大量の雨が降るたびに水害がおきます。それを防ぐために、わたしはここ七山村にダムを造ってほしいと思っています。 私たち この地図でいうとどのあたりにですか? 青木さん この平野のあたりに。 私たち それでは、この辺は水に埋まってしまいますが、困りませんか。 青木さん 私はその際にもらうおかげで余所に引っ越そうと思っています。
<村のこれから>……前田隆之さんの話 私たち 七山村のこれからについてどう考えておられますか。 前田さん 私は各自の家に貯水タンクを取り付けるべきだと思っています。 私たち 水は川から引いた水で足りているのではないですか。 前田さん 川の水には田んぼで使用したら農薬などが流れ込んでいるので、飲料水としては衛生上、あまり良くありません。そのため、飲料水だけは水が綺麗なところから引いて各自タンクに貯めておけばいいと思っています。 |