佐賀県唐津市玄海町外津
1EC97023■ 岩淵梢
1EC97179■ 柳川春菜
私たちは、玄海町の外津という地域を調査しました。
まず、この地域にはしこ名は一つしかなく、すべて「タンナカ」というそうです。
村の水は、普恩寺のところにあるダムから引いていました。また、1994年の大干ばつをどのようにしてのりきったかを尋ねると、普恩寺の土のダムの水が足りなくなったため、唐津から、水を引いたと語ってくれました。もしこの大干ばつが30年前だったとしたら、普恩寺の谷間に細い川があるので、その水をせき止めて、ポンプで上げて利用しただろうという話を聞きました。
古道については、昔は今と違って車などは通ってなかったので、道は50mくらいの幅だったそうです。道も今現在使用されている所はほとんどが昔は田んぼであり、田の中のあぜ道といったようなところが主な道だったそうです。
農業以外の現金収入というと、昔はでんぷん工場があったらしく、唐芋(さつまいも)やにんにくをつくっていたそうです。
また、草をとって牛の餌にしたり、肥料にした草切り場はこの地域では「のばら」と呼ばれ存在していました。この「のばら」は共同の土地ではなく、個人のものであったそうです。
この村の水は村人すべてが利用できていたそうなので、この村の人々は皆仲が良いのであろうと思っていたところ、この外津の地域は半分が漁村であり、その漁業を営んでいる人々と農業を営んでいる人々との間に思ったよりも交流が少ないということを聞いて、非常に驚きました。
また、外津の地域の近くには原子力発電所があったので、発電所が出来る前とあととではとれる魚の種類に違いが見られるかもしれないと考え、海沿いの家々も尋ねてみました。すると、原子力発電所とは全く無関係に今も昔も「たい」や「はまち」が取れているそうです。
また、外津の地域の漁法は網法なので、その地域と敵対しているというお話を聞きました。
以上が、私たちの調べたことですが、今回このような農村を訪れたことで私たちの中で少し考えさせられたことがありました。それはとにかく自然を大切に、このままの状態で残したいということです。この地域の人々の温かい心にも触れることができ、本当に良い体験をすることができました。
○外津地域のしこ名について
調査したところによると、年配の方々の多くが、外津はその中で小さく分かれているのではなく、「外津・今村・下宮」と大きく分かれているそうだ。
外津を大きく4つに分けて
北を ひだがた(海(港)に面しているところ)
西・東、南を つじがた(やや山間部・高い丘陵)という。
つじがたは主に農業。ひだがたは半農半漁・漁業。