佐賀県唐津市玄海町下宮 1EC97174■ 村上陽子 *しこ名を知っている人が少なく、いろいろな人から調査したので聞いた方の名前、その他までは聞けませんでした。 ○しこ名一覧
*用水路などの名前は聞くことができませんでした。 私たちは、玄海町の下宮という地域を調査しました。この地域一帯ではしこ名のことを字(あざ)と呼んでいました。字というのが村の人々が呼ぶ地名をあらわし、田んぼの名前のことは田ん中あざと呼んでいました。 この地域一帯は昔は今村という大きな1つのあざであり、それが後にいくつかの村に分かれたそうです。下宮もその中の1つで、この村はほかの地域に比べるととてもせまく、三角形のような形になっていました。そのためか、地域の人々のつながりはとても深く、村全体はとてもまとまっている様子でした。しかし、これも地形のためだと思いますが、外部の者に対しては警戒心を持って接しているようでした。それに、地域が狭く、家が少ないためか、またはずっとそこに住んでいた人が少ないためか、理由はわかりませんが、60〜70代のおじいさん、おばあさんでも村の字について知らない人がとても多かったです。そのため、私たちの調査もなかなかうまくいかず、困難でした。だから、地域の田ん中あざなどはなんとか調べることができましたが、地域の昔のことについての話は聞けませんでした。 下宮の田んぼには、大きく分けて4つの名前(田ん中あざ)が付けられていました。まず、村の家々に囲まれた三角の地域の北側は下前田(しもまえだ)田ん中と呼ばれています。そしてその南側は上前田(かんまえだ)と呼ばれています。家々にかこまれた三角形の地域の外の東側は浦山(うらやま)と呼ばれていて、三角形の地域の外の北側は釘原(くぎわら)と呼ばれています。下宮の北側から流れていて、下前田田ん中にある用水路に続く、とても細い川がありますが、この川を前田川と呼んでいるそうです。私たちが今回の調査で村の人々から教えてもらうことができたことは以上です。 私たちが、昔の地名が書いてある地図などを見て調べてみると、昔の今村という大きなあざはその中で細かくいくつかの地域に分かれていて、その地域名には、下前田、浦山、釘原という、下宮の田ん中あざに使われている名前が多くありました。私たちが下宮の田ん中を調べている途中、下宮のとなりにある中通の宮の下という田ん中あざも聞いたのですが、この宮の下という名前の地域も地図にありました。このことから見ると、ここら一帯の地域の田ん中あざは、昔のあざ(地域名)がそのまま田ん中あざ(田んぼの名前)として残っていると考えられます。 以上が私たちがおこなった玄海町下宮の調査の内容です。 |