佐賀県唐津市玄海町小加倉

 

1EC97075■ 後藤孝幸

1LA97236■ 藤林丁尚李

 

○一日の行動記録

 我々は1221日午前8時に学校に集合し、(我々は寝過ごさないように前日の夜から後藤宅に集合していたのだが)バスに揺られること2時間あまり、玄海町小加倉へと向かった。私は前期も歴史と異文化理解で佐賀へ同じような調査に行ったのだが、その時の場所は見るからに農村であった。しかし、今回の調査地は山岳部であり、農村というよりは山村という言葉がぴったりであった。さて、県道今村枝去木線でバスを降りた我々はどちらに向かって歩くかで迷ったあげく最初に決めた方向に歩くも、鎮西町に入ってしまった。そんな間違いをしつつもなんとか小加倉にたどりつくことが出来た。

 小加倉にたどりついたのはいいが私たちが尋ねるべき平田英人さん宅を見つけるのにまた一苦労した。昼食時だったせいか、人がほとんど外にいなかったため、人に尋ねることもできなかった。しょうがなく他のお宅を訪ねて、「生産組合長の平田さんのお宅」と聞くとわかりやすく教えてもらえた。そして平田さん宅へと向かったのだが、最初に訪ねた時は不在であったので(事前にアポはとっていたのだが)小一時間ほどして、もう一度訪ねたところ、やっと会うことができた。平田英人さんは40歳前くらいの若い人であったので英人さんのお父さんにも一緒に話を聞くことにした。

 平田さんから聞けた話は水利のことと作物についてだった。平田さんが言うには小加倉は稲作よりも畑作の村なのでしこ名についての知識はないそうであった。平田さん宅を去った後、我々は3人の人にしこ名について聞いてみたが不発であった。しこ名について聞けなかったことに後悔しつつバスを待っていた。都会で暮らす僕たちにとってこうした山の中で過ごせた時間は非常に貴重に感じた。

 

○調査結果

 まず我々にはしこ名について聞き取りを行うために、前もって連絡をとっておいた平田英人さん宅を訪ねた。平田さんは調査地小加倉で、生産組合長を務めている。平田さんは一見したところ40歳前後で、しこ名については知らないそうだった。英人さんは3人ほどの知人に連絡をとり、しこ名について知っていることはないか尋ねてくださったが、収穫はゼロであった。

 仕方なく、小加倉の水利などについて質問をしてみた。

 小加倉の水田の水はほぼ100%松浦川から引いているそうである。1994年の大旱魃の際から、この松浦川の水利に依存していると、平田さんは語ってくださった。それ以前の水利についても尋ねてみると昔は湧水や溜池で水をまかなっていたらしい。水利を聞いたついでに過去に水争いなどがあったかどうか尋ねてみると、オヤジからもそんな話は聞いたことはないからおそらくなかったであろうという内容であった。

 聞き取りの後、地図で松浦川の位置を確認しようとしたが、地図の中にはなかった。したがってどこからどこへ水路が伸びているのかわからなかった。橋も地図上には記入がなく、川の存在も確認できなかった。小加倉の辺りを歩いてみると、水田はほとんど見かけられず、果樹園が多く見受けられた。平田さんの話によれば45戸のうち、3戸のみが専業農家らしい。これは意外な事実であった。

 

○小加倉を歩いて考えたこと

 我々が小加倉を実際に歩いて第一に考えたことは山と畑ばかりで水田が少ないということであった。そこで畑を見ても何が作られているのか分からないのでいろいろと聞いてみると、ハウスみかん、ろじみかん、いちご、たまねぎ、なしであることがわかった。小加倉の地形は典型的な山村であったので、平地のないぶんs畑作が主流になったのは当然であろう。またあたりに川が見当たらなかったことも水田の広がりを妨げた要因と言える。

 次に民家や道路についてだが、民家は意外と新しく建て替えられたばかりのものなどが多く、昔ながらのものは12軒しか見当たらなかった。また道路は広い県道沿いということもあってか、きちんと舗装されていた。このような家や道路を見ると我々が日頃もっているいわゆる田舎に対するイメージがかなり偏見に満ちたものであることを痛感させられる。

 三番目に人々の生活についてだが、平田さんの話によれば、村のほとんどは、第二種兼業つまり兼業農家であり、専業農家は45戸中3(67)だけであった。つまりこの小加倉の人々の基本的なスタイルは「若い人は町に別の仕事を持っている」ということであろう。我々がここで考えたのはこのようなスタイルは確かに農業を衰退させるものではあるが、村の過疎は深刻化していないのではないかということであった。実際に村で若い人も多く見かけた。我々は農村や山村=過疎と考えがちであるが、そのような既成概念にとらわれるのではなく、実際にそこを歩き、話を聞き、その人々の暮らしについて少しでも知識を得てからでないと正しい認識はし得ないと感じた。



戻る