佐賀県玄海町有浦下
1EC97112■ 堤忍
1LA97022■ 石川祐基
話者:青木正之さん(昭和12年生まれ)
しこ名一覧
上場(1)
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ホキノマエ
ハチノクボ
カサヤマ
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上場(2)
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フカタ(深田)
コダンシタ
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上場(3)
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ムカエノ
ウチボシ
ミズノゲン
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白畑(1)
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シモビラ
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白畑(2)
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フカサコ
オクインボエ
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立畑
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ハル
タンコウアト
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後山谷
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ヒラノ
イエンシタ
ナガマツ
コウミンカンノシタ(公民館の下)
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*カサヤマは田ン中でハチノクボは畑。ほぼ同位置らしい。
〈一日の行動記録〉
我々は12月21日、日曜日に班の仲間と共にバスで佐賀へと向かった。我々の調査対象となった場所は有浦下と呼ばれる部落であり、玄海町の県道沿いに位置していた。バスから降りた我々が最初にしなければならなかったのは、自らの現在位置と方位の確認であった。もちろん方位磁針などを使った理由ではないが、初めは一直線に伸びる道路のどちらへ進めばいいのか本当に迷ったものである。というのも、調査を行った人の大半が同じであったと思うが、道路と見渡す限り緑ばかりのような場所で、目的地への目印がほぼ存在しなかったからである。地図と道路を見比べながら、どうにか、目的地にたどり着いた後、我々はまず、ここが本当に目的地であるのかどうかを確認することにした。地図とこの地帯のおおまかな構造を比較し、実際に少し歩いて見て、最後にみかん畑で農作業をしていた方にここが有浦下であることの確認をとり、さらに我々が事前にアポをとっていた青木正之さん宅の詳しい位置をたずねた。
時間がまだ11時程度であったことから、我々は昼前に聞き取り調査を終わらせてしまおうと思い、直接、青木さん宅を訪問した。この方は話好きな様子でまた気さくな方であったので、調査は比較的スムーズに進んだ。彼は村の人にしか分からないと前置きしながらも、しこ名を数多く教えてくれたし、その由来めいた話も、ある程度話してくれた。聞き取りは12時前には終了し、この時我々は大成功だと思った。
〈しこ名について〉
先にも述べたが、我々は結局のところ水利などについては全くと言っていいほど調べておらず、そのため話し手となっていただいた青木さんの話はしこ名についてが中心となる。
青木さんは「しこ名」とは言わず、田ん中の名称を総じて、ヤゴと呼んでいた。これが有浦下全域、もしくは玄海町一体で使われているのかは定かではないが、この地域特有の呼び名であった。
次にヤゴの名称についてであるが、青木さんが話してくれたその由来をわずかであるが以下にまとめたい。
フカタ・・・漢字で深田と書くように、以前この田には特別深い場所が存在していたためと言われる。
コダンシタ・・・この田の上にあった田がとてつもなく古くからあったために、この名称がついた。
ミズノゲン・・・この近くに、有浦下一帯の水源があるためである。
コウミンカンノシタ・・・字のとおり、公民館の下にこの田が位置するためである。
ヒラノ・・・有浦下は山の斜面に位置するため、平たい場所はめずらしいのだそうである。よってこの呼び名でわかるのだそうである。
我々がこのことから気づいた点がある。それはこのように由来自体が分かっているものは、単純に付けられたものであり、おそらく、ここ数十年間のうちにつくられたものではないだろうかということである。意味がよくわからないヤゴが自然とわかりやすく、新しいヤゴに変化していくのは当然のことといえるであろうし、それだけ有浦下ではヤゴが一般的に使用され、生活に密着している証ともいえよう。しこ名が失われてきたことを憂い、このような調査を行ったその趣旨を考えれば、このことはむしろ喜ばしいことなのではないだろうかと思う。
〈有浦下についての感想〉
この有浦下と呼ばれる地域は佐賀の山岳地帯に位置しており、山の斜面に民家と段々畑が存在している。ここでは水田はほとんど見当たらず、かわりにみかん畑が多く、主な農作物はみかんなどであるということであった。実際に我々が見て歩いた地帯以外でも稲作は全くと言っていいほど行われていないそうである。象徴的なのは、青木さんに話していただいたとき、カサヤマという場所は田ん中であるとわざわざ話したことである。あくまでも我々の推測であるが、カサヤマ以外の場所は全て畑なのではないかと思われる。この状況は有浦下の地形がなすものと考えられる。我々が見た限りではおよそ水源となりうるであろうものは全くなかった。水利について聞き逃したことが今更ながら悔やまれるが、この山岳部には、水田をなすだけの水がないであろうことは容易に想像できる。
また、我々はこの有浦下で、全く手入れされずに放置され、雑草が伸び放題となっている畑も多く目にした。我々が行なった青木さん宅周辺に限ったことであるが、まず畑の数自体が、多くはなく、次に放置された畑が大半を占め、みかん畑が点在する状況であったことから、あまり農業は盛んとは言えないようであり、過疎が深刻化している様子であった。
もっとも、これらは我々の主観的かつ限定的要素が強いため、資料としてはそれほど意味をなさないであろうことも明記しておきたい。