【多久市西多久町吉ノ尾・倉持】

現地調査レポート

 

材料工学科212 1TE94958 沼田哲広

1TE94545 岸川竜也

[吉ノ尾]

調査に協力してくださった方 中原五郎さん(昭和66月生まれ)

 

村の水利のあり方について

 水田にかかる水は向谷川、正明庵溜池、五才谷溜池を利用している。向谷川は他村(倉持)と共有している。水の配分については昔村の中の悪い人が自家製のポンプのようなものを使って川の上流で水を汲み上げて、下流で水が足りなくなってしまったりしたことがあって以来、川の堰き止め所に川の責任者をおいている。また、溜池には溜池のふーつうを作っている。

 水田に水を引く際に川の水を使うか溜池の水を使うかは場所による。単純に川沿いにある水田には川の水を使い、川の水を引いてくるのが困難な場所にある水田には溜池の水を使う。さらに今では昔炭鉱で掘った穴も水を通す穴として利用している。

 

1994年の水不足について

 その時にやった特別な水対策はなかった。ただ、昔から水に困っているときはいくつかの堰き止め所においた責任者を村民のリストを作って交替制にした。それは責任者が一人だと時間的にきついので、時間をずらして堰き止め所をずっと見張るためである。

 もし、1994年の水不足が30年前のできごとだったならば、おそらく川から離れたところにある水田は干上がってしまう。というのは圃場整備の前と後では水田への水のたまり方が全く違う。圃場整備前は1つの水田が水でいっぱいにならない限り次の水田には水はたまらない。しかし、整備後は一気に2,3枚の水田を水でいっぱいにすることができる。

 

村の範囲について

 村と村は山の頂上を結んだ線と向谷川を境に分かれている。

 

米のよくとれる田ととれない田について

 良田と悪田についてはそんなに差はない。ただ川から近い田んぼは自然と良田になって、戦前は最低でも78俵はとれた。一方、川から離れたとろにある田んぼはだいたい67俵しかとれなかった。

 

[倉持]

調査に協力してくださった方 馬場茂(昭和8919)

 

村の水利のあり方について

 水田にかかる水は向谷川を利用している。前にも書いたが向谷川は吉ノ尾と共有している。

 水不足の時は川の上流で人が水を汲んで、下流の方で水がたりなくなってトラブルが絶えなかった。今は川に責任者がいて水を管理しているが、昔はそんなことはなかった。30年前は水路がなかったので水を溜めるときは上の田んぼに水が溜まってからその下の田んぼを溜めるというという溜め方だった。

圃場整備の後は水路ができたため便利になった。水路ができたのは10年ぐらい前。水路ができる前と後ではかなり変わった。畦道がブロック型になって水の出し入れが楽になった。昔畦道はクニャクニャして水の出し入れがとても大変だった。

1994年の水不足の時はタンクに水を汲んできて田んぼに入れて何とか食うだけつないだ。もし30年前に水不足があったら、この倉持には溜池がないため、またその頃は水路もなかったためセンバタキという雨乞いをして、もう天(自然)にお任せで天に拝んだり水が溜まった所から水を汲んでくる以外に方法はないだろう。

 

米のよくとれる田ととれない田について

 ヤマンカミみたいな所にある水田は山水を使うため量はあまりとれないが、きれいな米がとれる。また川に近い水田は良田で78俵はとれる。また悪田では56俵程度。

 

今後の日本農業への展墓について

・水田に対してはあまり魅力はなく、ミカンなどが増えると思う。

・後継が問題。中年層の人がいなくなると農業をする人がいなくなる。これからは会社に勤めて退社した後にミカンなどを作るという考えがあるみたい。

・外米も多くなるだろう。

 

しこ名 地図から摘記

 ホイキイ

 スギノオ

 シエゴ

 ノナカ

 カスノキ

 バンソト

 コフケ

 ヨシンタニ

 フタマタ

 マンゴロウ

 ビワダ

 ウランタニ

 ツカワラ

 ヤマンカミ

 モトヤシキ

 イシワラ

 ソゴノオ

 ウシスリ

 ヨモシロ

 クレイシ

 センジュウガワラ

 ヤマノシタ

 ヨウロウ?

  ウシントオ?

 シュウズロ?

 ノンボリ

 

 



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