【多久市北多久町莇原、砂原】

歴史と異文化理解 現地調査レポート

文科114 1EC95251 立木 武

1EC95274 堀脇貴則

莇原

我々はまず莇原の川副さん宅に行った。彼の話によると北町には昔3つの地区があった。何が鈍づまりだったのかは分からないが、鈍づまりだったことから“鈍地原”、金持ちの長者がいた“長者原”、そして“盗人原”と呼ばれる三つだ。

 川副さんの田のある鈍地原は水路が整備されていない。だから昨年の水不足では水の便の悪い鈍地原では旱魃がひどかったそうだ。しかし、道路を挟んだ長者原では一応水路が整備されており、あまの影響はなかったようだ。そこらへんからは分からないが共済の田のランク付けでも鈍地原はかなり下の方だそうだ。比較的水に恵まれた長者原、盗人原もあまりよい土地ではないそうだ。

 川副さんの家は三年前まで裏作として麦を作っていた。そして肥料は化学肥料及び鶏糞を使っている。

 最後に川副さんは我々を多久市郷土資料館へ案内してくれたが、史料の文字が(昔の字であったため)読めなかった。館長とも知り合いらしかったが、館長は不在だった。

 川副さんは個々のしこ名にはあまり詳しくないようで、その代わり字(あざな)、小字(こあざ)というのを熱心に教えてくれた。

 

 

砂原

 次に砂原の田中さんところを訪問した。川副さんとはJAか何かでの知り合いのようで、川副さんが車で田中さんところまで案内してくれた。田中という名はやはり地元でも“たんなか”ではなく“たなか”だった。

 田中さんは砂原では唯一の専業農家だそうで、5ヘクタールの田畑を所有していた。中通川に面した土地で、その川を挟んで“つる”と“砂原”に分かれているらしい。田畑には“山神”・“やくぼ”・“どうめん”・“墓の下”・“じゃあげ”という五つのしこ名があり、“じゃあげ”を除く4つが砂原で、“じゃあげ”は砂原ではないらしい。

 どの土地も取れ高に違いはなく、よくとれるらしい。

 昨年の水不足でも天山山系からの水が豊富で大丈夫だったみたいである。そしてこの川(中通川)の水利権も持っていて、共済ランクでもトップの方だったそうだ。

 米の外にも有機質ハウスで野菜作りを行っているそうだ。そして裏作として麦を作っているそうだ。そして肥料は化学肥料なのだが、普通の化学肥料とは違うかなり上質のものを使用しているそうだ。

 

 多久市はかなり遠かった。JR40分待ちとかがありかなりの田舎であった。また与えられた地図が古く、名前が変わってしまったものがあり多少苦労した。二人ともよい方で調査を進めやすかった。また言葉の違いがマニュアルに指摘してあったが、それほど問題なく進んだ。

 

多久市 莇原 川副勝郎

    砂原 田中行雄

 



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