【多久市北多久町石州分、高木川内】 現地調査レポート 1EC95037 緒方志穂 1EC95018井上奈津
石州分における調査結果1月13日安藤さん宅を訪問し、しこ名と区画整備、水利のあり方について尋ねた。 ◇しこ名について しこ名については図のように梅木、大黒、薬薄、宮田、田の間、間山、山下、財毛(ざいけ)、野存前(まぞんまえ)というようなものがある。 石州分には10の水田があり、そのそれぞれにしこ名が付いている。
◇水田の性質について 石州分の東側には陣ノ辻という山があり、そこでしみこんで地下水となった水が地表に表れるため、宮田、間山、山下などの東側の水田は湿田になりやすい。
◇水利と水利慣行について この石州分は本来水に恵まれた地域である。川の上流に位置することと、地図からも分かるとおり北部に住宅地が広がっており、その生活排水が川に流れ込むため、水量がいかなる時でもある一定の水量を割らないことがその理由としてあげられる。梅木の北側のポンプや多久郵便局近くのポンプから川に水をひいて、時期と水量に応じ調整している。
◇しこ名の由来について 間山は山の近くにあり、山と川との間にあるから間山と呼び、山下は山の下側にあるから山下と呼ぶ。田の間は水田と水田の間にあるから田の間と呼ぶ。その他についてはよく分かっていない。
◇大干魃の時の水利について 先にも書いたように、石州分は水に恵まれているが、高木川内ほどではなく、水不足の際(昭和初期にも数回あり、一昨年がそうだった)にはまわし水を行っていたとのことだった。まわし水とは、田んぼをいくさかに分け交互に水を回す方法で、具体的に言えば、水田を3つに分け、1日目には薬薄と宮田に水を流し、他の2つには水を流さない。そして2日目には田の間と間山だけに、3日目には野存前と山下だけにというようにして何日か周期で水が流れるように水田をのわしていくやり方である。
◇村の耕地について ここでは良田が多いが、一部湿田も混じっており、湿田は水が多すぎて根ぐされしてしまうため、その改良のために水田の下側を掘って、そこに糠を入れ再び土をかぶせて利用するという知恵が生かされてきた。
◇肥料について 戦前はコヤシ、下肥といったものを肥料にしており、悪い田でも8俵ほどの収穫はあった。
◇水路について 石州分では川の両側に堤外水路というものを作っている。そこから水田に水をひいている。地図上では濃い青いラインで示している。(地図省略:入力者)
◇近年の圃場整備について 近年、圃場整備がすすんできており、地図上で赤枠で囲った部分は圃場整備が既に行われ、水田がきちんと区画されている。青枠で囲った部分の土地保有者の一部がお金がかかることを理由に圃場整備に難色を示しているため、依然として整備が遅れているのが現状である。
◇石州分の実情について 圃場整備については、村人の間でそれぞれの利害に伴って意見が対立しているため、連日のように会議が開かれ交渉の場が設けられているが、議論は平行線をたどるままで依然として進展の見込はたっていない。
◇今日の農村の抱える問題点と今後の課題 やはりこのような小さな村にも近代化の波は着実におしよせてきており、兼業化や後継者不足、嫁不足などの問題もおこってきている。また、少人数のみの農業に於ける弊害も起こっている。 石州分においてのみ言えば、村人の意見を早急にまとめ、圃場整備の完全普及によって農業の近代化を促進し、少人数農業に対応していけるようにすることが今後の課題ではないだろうか。
◇講義を受けて この講義を受け、実際に自分の目で見、足で歩いて得た知識は何物にも替えがたく、このような経験をすることができる機会に恵まれたことに感謝したい。
高木川内における調査結果1月13日、坂口さん宅を訪問し、しこ名と区画整備、水利のあり方について尋ねた。 現在高木川内は区画整備が行われ、それぞれの田には番号を付けて呼ばれている。例えば“1529-1”のように1508〜1543まで4桁の数と、1または2など数の組み合わせから成り立っている。 それ以前の田のしこ名は広範囲にわたるものであるが、いくつか聞くことが出来た。その成果は地図に示してある。(地図省略:入力者) 1994年の水不足ではどのように対処されたのかという点については、高木川内は水に恵まれており、石州分におけるまわし水などの行為は必要なかった。高木川内の周辺には溜池が3つほどあり、それに加えて高木川内川が流れているため、水が豊富にある。住宅地、工業地帯などもある(セメント工業など)が、農業が優先的に水を優先的に利用することができるため、水不足で特に悩まされるということはなかった。 しかし、これは現在ポンプなどで川から水を揚げるのが可能であるからである。昭和初期は数回ではあるが、水当番が立ち、決まった田以外に水を回したりしないよう厳重に取締をしたこともあったという。
1 高木川内における水田の水利用の方法について 高木川内は中通川とその上流の高木川内川に挟まれており、上川内溜池、山口原溜池、岸平溜池から水を引いている。水田の周辺の水路にそれぞれある「井手」から田に水を流す。その大もとで水路に流す入口が「大井手(おおいで)」という。 水利については水利組合による話し合いによって決定する。近辺は水田のみではなく、住宅地、工場などがあり、その辺りの折り合いが重要である。
2 しこ名について しこ名はこの地方では“あだ名”と呼ばれているようである。上川内、下川内、鶴(かく)の3つに分かれており、下川内は春田と下原の2つに分かれている。「この名より細かく分かれていないんですか」と尋ねたところ、これ以下は番号で区切られているらしいので、例えば「上川内○番」という風に呼んでいたらしい。今は全部通し番号で呼ばれている。
3 耕地について 区画整備が進み湿田はなくなって乾田のみとなった。それ以前ではやはり良い田、悪い田があったという。悪い田では7俵ぐらいしかできず、現在は10俵できるようになった。水田には点数がつけられていた。例えば、川のそばにはある田は水利がよいので点数が高く、里道から遠い田は不便なので点数が低かった。里道とは“りどう”とよみ、田の中にある運搬用の道である。 戦前の肥料は硫安、過リン酸石灰、加里をまぜて入れていたそうだ。今は肥料の三大要素であるチッ素、硫酸、加里を国の指定の割合でまぜた配合肥料を使っている。
4 その他 山にもあだ名があり、仁田尾、大久保、椎原、川内山とあり、仁田尾には私有林が多く、外はほとんどが共有林である。
5 現在の高木川内 区画整備によって良田ばかりになり、一定の収穫が得られるようになった。区画整備は今後も進む予定である。 現在の問題点は工場との水利権の折り合いである。坂口さんによると農業には優先的に水利権が与えられているのだが、工場が勝手に使っているらしい。その辺りが今後解決すべき問題である。
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