【多久市北多久町山犬原・西多久町宿】 現地調査レポート 1EC95075 澤田孝人 1EC95095 田中 修 服部先生 多久市北多久町山犬原事前に生産組合長の小池栄さんに手紙を出していたが、小池さんは旅行中で不在。急遽僕たちはそこらへんの家に行き、尋ねて回ることにした。 ・成富珠美さん(76) 成富さんは病気で寝込まれており、奥さんがしこ名だけを教えて下さった。 しこ名 ヒラキ、ハワダ(ハワサカ)
・野口吾一さん(83) しこ名 ジャリダ、ジャリダシタ、ロクセダ、ナワシロダ、ヨコシ(ヨコタ)、 ウラタ、ジャリダヨコ 昔使っていた肥料は養鶏場を持っていたため、鶏糞を使っていたそうだ。一昨年の渇水の時は川の水ポンプで汲み上げていたので、少しは被害が出たが、何とか乗り切ったそうだ。 このごろは田んぼや畑を売ってそこに寿司やパチンコ屋や住宅地、駐車場などが建てられてきていると言っていた。事実、地図上の田んぼの3分の1ほどはそうなっていた。
・瀬戸口強さん(75) しこ名 ツチバシ 前訪れた家でたくさんの田んぼをもっていると紹介してもらったが、すべて自分の土地はツチバシと呼んでいるそうだ。 水利は川の水を利用し、上流の方で井手によって川を堰き止めて水を溜め、用水路に流しているそうだ。 田んぼの土壌はあまり変わりはないが、やはり用水路の周りや川の近くの方でよくとれるらしい。 一昨年の渇水で山沿いの田んぼは水が無くかなりダメージを受けたそうだ。 地図上の土橋溜池は溜池の水を利用していた田んぼが売られたので、現在はほんの僅かの田んぼしか利用していない。 度重なる減反政策で田んぼを遊ばせていたり、代わりに麦を植えたり、畑にしているところもあるそうだ。
・武富利博さん(69) しこ名 ホイノウエ、テーノクチ、ウーゼマチ、サカシブラ(サカシヒラ) 昔使っていた肥料は乳牛を飼っていたので牛糞で、一昨年の渇水は用水路の水の外に井戸の水や溜池の水を緊急用に使って乗り切ったそうだ。夜、ポンプを使って汲み上げたりして大変だったそうだ。 この地区の農家のことについて聞いてみたところ、専業農家は1軒もなく、全て兼業農家らしい。
・小川清春さん(73) しこ名 ウエハラ、フケタ 昔使っていた肥料は、カイコを飼っていたので、カイコの糞やカスを利用していた。フケタは湿田のことを言うらしい。
西多久町宿お手紙を出した山田敏弘さんのお宅を訪ねると、二人の古老が僕たちを迎えてくれた。 ・山田二郎さん(81)、坪上政己さん(76) しこ名 シュクノウラ、ミヤハラ、カマエ、ムカイダニ、ヤマサキ、オオツボ この地区では1つ1つの田んぼではなく、ある程度まとめて田んぼを呼ぶそうだ。だから自分の田んぼを呼ぶときも、「シュクノウラの田ん中」というふうに呼ぶそうだ。 昔使っていた肥料は、石灰と雑草を混合したものを使っていたそうだ。昔から化学肥料みたいなものも使っていたそうだ。 昭和60年に区画整理が行われ、今は1割負担なので、やりやすいと言っていた。 今は宿地区では田んぼに差はないそうだ。 山沿いの棚田は区画整理が行われておらず、田んぼも小さいままで小作人もつかないので、荒れ放題だそうだ。 後継者不足で農家22軒中8軒が小作人を雇っているそうだ。 渇水の時は話し合いで井手に水を溜め何とかやったそうだが、山沿いの田んぼはかなりの被害を受けたらしい。 地図上の小ヶ倉溜池、小ヶ倉下溜池、十六溜池は水田用には使っておらず、渇水の時も火災時の備えのため使わなかったそうだ。 「一昨年の渇水が30年前に起こったらどうだったろうか」ということを聞くと、水争いがあっただろうと言っていた。昔は水争いがひどかったらしい。一部の田んぼでは裏作として麦を作っているそうだ。 この写真(写真省略:入力者)は昭和49年に撮った最後の直播き苗床風景。これ以後はほとんど機械を使って苗床を作っているそうだ。
まとめ 1地区に1通の手紙しか出さなかったのが失敗だった。突然そこら辺の農家を訪ねたのは少し迷惑だったと思う。訪ねた古老は皆優しく接してくれたので助かった。こういう実習タイプの授業は僕にとってはじめてだったので、とても新鮮で学ぶべき点も多く、本当によい経験となった。 |