【佐賀市高木瀬町百石、仲田代地区】

現地調査レポート

ST-28 1AG95125 柴田勝一郎

                城戸

現地調査をふり返って

 現地での調査の時のことを、時を追って述べてみようと思う。

まず、バスを降りてからのことだが、パートナーの城戸君がバス酔いでダウンしかかっていたので、すぐには行動せず、まず地図などを見て現在地の確認と目的地までの経路を決めた。

少し休んだ後出発。思うように道を発見できず、また目印となるものもほとんどなかったので主にお寺の位置関係で自分達の現在位置を割り出す。結局、どうしようもなく人に道をたずねながら行くことになった。しかし、それにしてものどかな所だと思った。

県道を外れると店など一軒もない。堀でつりをする人々。「いい所だねぇ。」とか言いながらもどうにか目的の一軒目らしき家を発見。チャイムを押してあいさつをしたが、誰も出てこない。どういうわけか留守のようだ。しかたがないので二軒目にむかう。

今度はすんなり見つけることができた。お願いしていた時間よりも若干早い訪問となったがこころよく家の中にまねいてくださった。

この久保さんの家ではしこ名のほかにも百石という名の由来なども聞くことができた。百石のお侍がいたという説と、田んぼの位置が百石目だったという説があるらしいのだが、くわしくは分らなかった。

しこ名の由来についてもしこ名の名前そのままというものがほとんどだった。(“かんべいぼい”はかんべいという人の所有だったといわれる堀、“うーぼい”、“こぼい”は大きな堀、小さな堀というふうだった。)あと、田んぼのしこ名にはよくわからないものが多かったが、そういうものには由来があるのかどうかわからない状態で、「昔からそう呼ばれていたけどなぜだかはわからない。」とのことである。後でしこ名とその由来についてまとめようと思う。

 久保さんに丁重にお礼を言い、再び一軒目の池田さんの家にむかうことにした。あいにくまだ留守のようだったが、おばあさんが帰ってきていたので、おばあさんにしこ名についてたずねる。久保さんに「池田さんはまだ若いから昔からのしこ名はほとんど知らないかもしれない。」と言われて内心不安だったのだが、このおばあさんは幸いしこ名を多くご存じのようだった。ここでのしこ名も後にまとめようと思う。なぜ池田さんが留守だったのか、こちらに不届きがあったのかはわからないが、おばあさんにお礼を言い、池田さんによろしく伝えて下さいとたのみ、池田家をあとにする。しばらくぶらぶらした後、バスに合流。

 

しこ名とその由来(こぼい、うーぼいなどは省略)

<百石>

 げんきゃ(玄海):広い堀なのでとのこと。

 みちうえ(道上):道だけでなく周辺の田もさす。

 せんべいぼい、かんべいぼい:それぞれそういう名前の人が所有していたといわれる堀。

 

<仲田代>

 げんきゃ:百石のと同じ

 いでむこう:“いで”のむこうがわにある田んぼ

 こうあつせんのたんなか:文字通り高圧線の鉄塔が立っている田んぼ

 

※これら以外のしこ名は昔から言われているのでその由来はよくわからないとのことです。



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