【神埼郡脊振村頭野・山口】

 

1TE96838 大林奏隆

1TE96845 國分博士

 

《話を聞いた古老の名前》

野口義海さん(大正612月生まれ)

野口勝作さん(明治327月生まれ)

 

《しこ名一覧》

境野(さかいの)、屋敷平(やしきだいら)、勝椀谷(かつわんだに)、中浦(なかうら)、麦田平(むぎただいら)、頭野峠(かしらのとうげ)、太戸(おおど〔うーど〕)、中前(なかまえ)、尾平(おだいら)、峠(とうげ)、さめ堂(さめどう)、道明(みちあかり)、柿林(かきばやし)、赤なば(あかなば)、ごい山(ごいやま)、太郎浦(たろううら)、平(たいら)、高官山(こうかんやま)、黒土田(くろつちだ)、ししの内(ししのうち)、広田(ひろた)、あぜふく、いわん下、うど山、春平(はる〔ら〕だいら、はる〔ら〕〔ん〕だいら)、みちぜん、西のうど、屋敷(やしき)

 

《行動》

 まず、前々日に区長さんのお宅に電話してみた。しかし、区長さんは入院しているということだった。かわりに公民館の役員さんを紹介してくれたので、その人に電話をしてみたが、その人も「お祭りの役員の仕事があるため、711日は都合が悪い」ということだった。その人が「当日はまず最勝寺というお寺を訪ねてみてはどうか」と教えてくれたので、当日はお寺を訪ねることから始めることにした。

当日、バスに酔ってしまったが、なんとか目的地に到着した。予定通りにお寺を訪ねることにしたが、このお寺は坂の上の方にあったので、かなり疲れてしまった。お寺に着くと若い女の人が1人いただけだった。「話が違うじゃないか」と思ったが、この人からしこ名について聞くこともできないので、しこ名について知っていそうな人の家を教えてもらうことにした。すると97才のおじいさん、野口勝作さんの家を教えてくれた。

さっそく訪ねてみることにしたが、そのおじいさんの家は頭野の中でもかなり高い所にあり、坂もかなり急だった。なんとかたどりついたが、そのおじいさんは山に行っていて留守だった。家の人の話によると、昼頃にはご飯を食べに帰ってくる、ということだったので、「昼過ぎにもう一度来ます」と約束した。

お昼までにはまだかなり時間があったので、何軒かの家を訪ねてみたが、ほとんど留守か、若い女の人がいるだけだった。そのうちに疲れて座りたくなったので、橋のあった所まで坂を下りて、橋に座って休むことにした。しばらく休んでいると、山の方から80才ぐらいのおじいさんが下りてきたので、しこ名について聞いてみることにした。そのおじいさんは野口義海さんという名で、「とりあえず家に来なさい」というので、家にお邪魔して話を聞くことにした。

まず、田のしこ名について尋ねると、「あだ名なら知っている」と言って、20個ぐらい教えてくれた。しかし、そのしこ名は田んぼのみにつけられたものではなく、田や山や谷や井堰等も含む、ある一帯の地域に対してつけられたものだということだった。

次に村の水利について聞いてみた。水は川や谷の水を利用する、ということだった。主に利用するのは頭野川や道明川(道明川というのは正式な名称ではなく、しこ名らしい)だということだった。また、配分に際しての特別な水利慣行というものはなく、自分が水を入れたいときに水を入れるというやり方をしている、ということだった。

一昨年の水不足のときはどうだったかを聞いてみたが、別に水不足で苦しんだ記憶はない、という答えが返ってきた。それよりも今年は谷の水が少ないため少し苦しい、ということだった。まあそれでも今年は雨がけっこう降ったのでよかったが、もし雨が少なかったら減反をしていたかもしれない、と話してくれた。

次に村の範囲について尋ねたが、どうも地図上ではよくわからないようだった。

話を聞いている間、おばあさんがお茶を持って来てくれたり、お菓子を出してくれたりした。また、帰る時にはアイスクリームを持って来てくれた。

12時過ぎになったので、次に約束をしていた野口勝作さんの家に行ってみた。97才ということだったが、まだまだ元気そうなおじいさんだった。

しこ名について尋ねると、さっきのおじいさんが教えてくれた以外に、78個ぐらい教えてくれた。やはり、そのしこ名も、田んぼだけにつけられた名ではなく、山や谷なども含むある一帯の地域に対してつけられた名だということだった。

次に水利について聞いてみた。主な水源は川や谷で、川をせき止めて水を用水路(井堰)に上げ、その水を田に入れる、ということだった。

谷や用水路のしこ名を尋ねてみたが、谷や用水路のみのしこ名はなく、前に挙げたしこ名の中に含まれている、ということだった。

川の上流の人が水を上げるために川をせき止めると、下流の人は水がとれなくなるので、それについての争いはなかったのかを尋ねると、水を入れる時に川の上の方の人から順に水を入れるというのが、山の百姓の道徳みたいなもので、文句を言う人はいない、という答えだった。

また、川の掃除は各自が自分が水を上げる部分の掃除をするということだった。

一昨年の水不足について尋ねてみたが、さっきのおじいさんと同様に水不足だった記憶はない、ということだった。それよりも今年の56月の方が苦しかったそうだが、今年も今は安定してきたということだった。

次に村の範囲について尋ねたが、たとえば頭野に家のある人が服巻の田を耕したり、服巻に家のある人が頭野に田を持っていたりするため、地図上での明確な境界はわからない、ということだった。

ここの家でもたくさんのお菓子を出してくれたので、お菓子だけで腹がいっぱいになってしまった。

話が終わると、どうやらおじいさんはまた山へ出かけるらしかった。本当に元気なおじいさんだと思った。トイレを借りてから、そのおじいさんにお礼を言って、家を出た。ジュースが欲しくなったので、自動販売機を探してぶらぶら歩いたが、全然見つからず、一番ヶ瀬上の方まで来てしまった。バスは酔うので、できれば他の交通手段で帰りたかったが、そのことを先生に連絡する手段もないし、第一、他の交通手段がヒッチハイク以外に考えられないので、結局バスで帰ることにしたが、山道は曲がりくねっているので、やっぱりバスに酔ってしまった。

 

区長さんが入院しているということだったし、だれにも話を聞けなかったらどうしようかと思っていたが、2人に話を聞くことができてよかった。はじめはめんどうくさいなぁと思っていたが、終わってみると、こういう風におじいさんと話をするのも悪くないなぁと思った。



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