【神埼郡脊振村白木】
歴史と異文化理解A 佐賀調査レポート 《調査者》 1TE96884 才保文伸 1TE96889 関 俊徳 調査日:H8.7.11
《お話をしてくださった方》 服巻勝利さん(S4.2生、農業委員)
《しこ名の一覧》 田:かみだ(上田)、ものばぶり、まえだ、かんさこ、しもだ(下田)<地図1> 家:もとやしき、いらんたに、にし、ひがし、きゅうもい、しょうぶん<地図2>※アクセントは特になかった
白木の境界は、ツーベット山の尾根と、仏の辻山の尾根
《平野部と山間部(白木)との比較》
《今と昔》
《旱魃の時》 水が出ない時は豆類(あずき、大豆)やイモ類(さといも)を作っていた。(昔) 今は山からイノシシが出るのであまり作らない。
《減反の田ん中》 あずきを作る。何もしていない(雑草が茂っている)田もあった。でもイノシシが出る。
《当日の行動》 10:57 バス下車、ひたすら歩く 11:24 白木を発見 11:28 服巻さんが御夫婦で作業中に話しかける 11:30 田ん中の近くの車庫で説明してもらう 12:30 服巻さんの家へ ・昼食(ソーメン、からあげ、キュウリ、トマト、らっきょ、ふきのとうの佃煮、キュウリのつけもの)をいただく。 ・雑談 ・最後に缶コーヒーをいただく 14:30 服巻さんの家を出る、来た道をひたすら戻る
《将来の日本の農業の展望》 ・後継者不足(昔は100人以上の人がいたが、現在では約20名しかいない)。このことはどこの村でも同じ。 ・米の値段が下がり、米作りなどの農作業だけでは暮らしていけないため、村の大部分の人々が町に日雇で土方などに出るか、そういう仕事に出れない人は年金生活をしている。
《若い人に求める事(古老談)》 今の若い人は自分勝手な人が多い。人間は助け合わなければ生きていけないのだから、もっと協調性を持つべきだ。今の社会は実力主義の社会だが、先輩を立てるところではきちんと立てなければならない。 外国とのつき合いもいいけど、自分達の身の回りのこともきちんとしていないとだめになってしまう。
《雑談》 ・脊振山の頂上には自衛隊がいて、レーダー基地がある。 ・脊振山からの眺めはすばらしい(天神も見える)。 ・服巻さんには4人子供がいて、時々都会に住んでいる友達を連れて来るらしい。そして、きれいな水、空気を味わうそうだ。 ・食品はまとめ買いしておく。 ・冬はかなり雪が積もる。
《全体を通しての感想》 はじめ佐賀に行って古老の話を聞いて来なければならないというのを聞いて、はっきり言って不安だった。古老というのはみんなガンコで相当礼儀に気をつけなければ怒られるのではないかと思っていた。それと、地図を見た時、僕たちの行く「白木」という所は、バスの通る道から大きく離れていることにびっくりし、ちゃんと歩いてたどりつけるのだろうかと思っていた。実際、歩かなければならない所は工事中でぬかるんでいたので歩きにくかった上に、30分くらい歩かなければならなかった。 話をしていただいた人はとてもいい方で、僕のそれまでのイメージは吹き飛んだ。色々な話をしていただいた後、家に招待してもらい昼食までごちそうになった。そこの奥さんもいい人だった。帰る時には「機会があったらまたおいで」とか「友達も連れて泊りに来なさい」とか言ってくれて、うれしかった。楽しく村を調査できたのでよかった。(関 俊徳)
住宅地図で村の様子を見た時、一体どんな所なのか見当もつかなかった。バスを下りてからもかなり距離があるようだったし、山越えの予感がした。実際バスを下りてからは山越え、さらに途中道がぬかるんでいて、その後どうなることかと思った。家が見えてきて、やっと少し安心することができた。 話をしてくださった方はとても丁寧に教えてくれました。たまたま農業委員をしている方で、他のムラのことや、平野との比較など詳しく教えてくれました。話の後、家へ案内してくれて、親切にしてくれました。本当にいい所で、いい方に会えたと思います。この恩は決して忘れないと思うし、これから生きて行く上での話を聞いて、本当にしみじみと考えることがあり、ためになりました。 この授業も決して忘れられないものになりそうです。(才保文伸) |