【神埼郡脊振村佐古・古釜】 歴史と異文化理解A 現地調査レポート 1TE96892 立山智之 1TE96893 田中良宗 1TE96 福世和雅 佐古地区 佐古前 田 佐古裏 畑 滝ノモト ビニールハウス カキノ佐古 畑 冷水 ビニールハウス・畑 学校前 田 学校屋敷 畑 コダノウド 畑 大佐古・三角山 畑 クンダイ 田 ノンボイ・アワノンタイ 田 スガムタ 田 ドウデ 田 身売川 川 古釜地区 ウエガエシ 田 作道下 田 三角田 田 下田 田 身売田 田 三反田 田 西前ノ田 五百田 田 西流 田 寺ン前 田 二反田 田 帝田 田 宇人谷口 田 マツノウ 山 梅谷 山 宇人谷 山 三反平 山 身売川 川 ドンドン川(昔の呼び名)
話を伺った方 内村初夫さん 明治42年5月 森田ハルさん 昭和3年4月 野口一夫さん 大正12年6月 田代岩雄さん 大正12年7月 松永広海さん 昭和15年1月 森田義春さん 大正15年3月 山口文男さん 大正10年7月 実本高良さん 牛島トオルさん 牛島モリオさん
バスを降りて何をしたら良いのか分からなくて、とりあえず少しぼーっとした後、寺なら村のことをよく知っているだろうと思い寺の人に尋ねてみたら、内村初夫さんを紹介してもらい行ってみたら不在だった。古釜のあたりを歩いて別行動を取り、とりあえず僕は畑で働いている人に今耕している畑は何というかを聞いてみて、近くの家の人に聞いてみた。 その間、田中くんと福世君が古釜のことは聞くことができた。大変だったのは佐古の方である。大半の佐古の人に尋ねたが、上の方の田畑は上の部落の人が耕していると聞いたので、上の部落に行って見たが耕している人は不在だったので、聞くことができず時間が来たので諦めざるをえなくなりそれで帰ることにした。疲れたが良い人たちばかりでいい経験になった。
水利 水は谷あいを流れる川により、水などの利権をめぐる争いはなかった。その川には各峠から水が入り込んでおり大変豊富な水量だった。台風の時は事前に防波堤を築いていたそうなので大した被害はなかったそうだ。 |