【神埼郡脊振村大楮】

佐賀県しこ名現地調査レポート

S-16 1TE96621W 田中 健

 

古老の名前:藤子さん(名字・生年月日不明)

 

《しこ名一覧》

・たいごうばた

・うらんたい

・ぎちょう

・にし

・くんだい

・そね

・かごはら

 

《当日の行動》

 バス降り場から大楮までの道のりは、地図での想像以上に長かった。当日はとても暑く、木の葉のカーテンなどかざりにしか過ぎなかった。自動販売機は一つもなく、清らかな水は流れてはいるが、どうやら生活用水として使われているらしい。現地に着いたのはちょうどお昼だった。大楮という所は、集村、塊村というよりは、隠田百姓村というイメージが強かった。というのは、もうないだろうとあきらめかけていた最後の曲がり角の所に、突然姿を現わしたからだ。

さっそく一軒一軒訪問していった。大楮は約八軒の家がある。村として規模は小さいかもしれないが、一軒一軒がとても大きく、一人分の土地に家が二つも三つも建っているのが目についた。多分そのうちの一つが小屋なのだろう、わらで作った道具みたいなもの(都市では工芸品として売られている)がつるされていた。古老を探すとかいう問題以前に人を探すのが問題になるほど静かな所だった。

五軒目でようやく人に出会った。ここの村には来客がないのかと思うぐらい僕を警戒し、また、九州大学の者で、しこ名についての調査に来ましたと言った後でも、無愛想だった。最初の方は言葉こそ通じたが、しこ名と言ってもわかってもらえず、地図には載っていない古くからの田ん中の呼び名と言っても、自分の昔話みたいなものを語り出す始末だった。

それでもどうにかこうにかして、しこ名であろう田ん中の呼び名をいくつか教えてもらった。また、その人から、田ん中の呼び方(しこ名)は人それぞれ異なると教えられたので、さっそく次の家へ当たってみた。が、ほとんどが留守で、やっと出会えたと思ったら、

「しこ名?」「はい、しこ名を教えてください」「そんなもん知らん」「では古くから言われていた地図には載ってない田ん中の呼び方を教えてもらえますか?」「知らん」「向かいの方は向こうの田ん中を〜、〜、〜と呼んでいますが」「なら、それでいいじゃないか」「……」

という答えが返ってきた。他に家もないし、結果的に一軒でしか教えてもらえなかった。

帰る途中、不思議な事に気づいた。村と田ん中がけっこう離れた所に位置しているのだ。また、村の一軒一軒が高台に建てられていた。この二つの事柄から予想して、ここでは洪水などの自然災害があるのではないかなぁと思った。

これが当日の行動である。

 

《感想》

 昔、僕が小さい頃、近くの公園の事を「パンダ公園」と呼んでいた。パンダの像があったからだ。ちなみにその公園の正式名称は「緑地公園」という。

 しこ名というのも、この事と似たようなものだと古老の話を聞いていて思い始めた。となり村での話だが、水が湧いていたからその地を「しみず」と名付けたという。先生から与えられたプリントの始めに、「このままでは時間の経過につれ、完全に忘却されてしまう」と書かれていたが、果たして調査され、記録されるべきものだろうかという疑問が湧いてきた。この事は別に記録される価値がないと言っているわけではない。言葉ではうまく説明できないが、幼い頃の「パンダ公園」を思い出すと、自然にこのような気持ちになった。



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