【神埼郡脊振村中ノ原】 歴史と異文化理解A 現地調査レポート S1-17 1TE96636 野口元久 S1-17 1TE96641 橋本昌二 S1-17 1TE96643 早原信介 S1-17 1TE96659 宮本 潤
・竹の下:竹やぶがあった ・アカサコ ・井尻(イジイ):用水路の終わり ・ヒエダ ・松原(マツバル) ・正一さん(ショウイッツァン):昔「正一 神社」があり、「正一さん」と呼ばれていた。 ・荒谷(アラエダイ):洪水の時、その谷から土砂が流れてきた事があり、その後「荒い谷」とされた。 ・寺の裏 ・三枚田(サンミャーダ):今は一枚にならされているが、昔は三枚の田んぼがあった。 ・近土(キンド):家の近くの田、そのため人によって近土は場所が違う。地図上の近土は役場の山崎さん(男性)に聞いたもの。 ・河原(コウラ) ・大曲(オオマガリ) ・早馬谷(ハヤマンタイ):漢字は当て字だそうだ。 ・勝陣裏(カチジンウラ) ・シュウジ ・門前堂(モゼンドウ):「文殊堂」がなまったものらしい。 ・柿の木田:一本の柿の木があった所。 ・谷頭(タイガシラ): ・龍安(リュウワン):龍安寺と呼ばれるお堂が今も残っている。 ・ミジャラ:ジャーラ(平)な所。原っぱがあった。 ・釈迦堂 ・大井手(ウウイデ):建設用語では「頭首工」と言われ、そう呼ぶ人も多い。 ・奥の院:昔、神だなをまつっていた。 ・宇土の谷(ウドンタイ) ・井手の上 ・辻向(ツヅムカイ) ・原中原(ハンナカバル)
《用語補足》 ・井手:昔からの自然の用水路。 ・「谷」は「タイ」と読む。
・釈迦堂、門前堂、寺の裏など、お寺に関する名が多いのは脊振村に昔多くのお寺が存在していたからだそうだ。 ・昔、脊振山から水をひく。200年前にドイツ人が水発電所をつくった。 ・脊振村は昔、貧乏だった。そこで当時村長だった徳川権七(脊振小学校に彼の石碑があった)が、植林をはじめ、養蚕、ロウづくりを奨励して村に貢献し、国有林を払い下げた。 ・現在、過疎化が進み、解消策として脊振小学校近辺で宅地造成をはじめている。そのため、井手(自然の用水路)の流れをわけている。
《話を聞いた人》 山崎さん(女性) 山田弥六さん(男性、M41.1.27) 山崎さん(男性、S17.2.17)
どの方も、後から忘れかけたことを思い出したように話して下さった。今この時期に聞いておいてよかったと思う。もう少しこの調査が遅れていたら、もうわからなかったかもしれない。(早原)
はじめ、「ちょっとわからんね」とか言われ、どうなることかと思ったけど、無事終了した。役場の人達はみな親切でいろいろな話もしてくれて、とてもよかったと思う。おばあちゃん、飲み物ごちそうさまでした。(橋本)
脊振山の山開きだったため、最初にまわった所は留守が多く、大丈夫かなと思ったが、村役場の人達が親切に教えてくれた後、詳しい人の家も教えてくれて、意外とスムーズに事が進んだ。(宮本)
途中でお話を伺った山崎さんは「ここは魂の入った村だ」と言っていた。やはり、この村も過疎化が進み、若い人の村に対する意識も薄いそうだが、それでも昔の精神は残っているということだった。(野口)
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