【神埼郡脊振村越道・蓬原・桂木】 歴史と異文化理解A 現地調査レポート S1-15 1TE96864 宮崎 1TE96856 中沢
《話を聞いた人》 桂木…竹本三男さん(大正10年生まれ) 越道…永渕矩雄さん(92歳)の息子の嫁と思われる人 桂木…畑瀬安男さん(昭和6年生まれ) ※家の位置…一番後ろの地図参照(地図は佐賀県立図書館所蔵)
《しこ名一覧》 <田> ・なかむら(中村) ・そね(曽根) ・ひらだいら(日平) ・いんがくら ・うちじゃあし ・じゃあら(平) ・いとだ ・さぶじ ・さそうら ・こうつら ・うしろやま(後山) ・たのど ・きたのはら(北原、きたんはら) ・むかいだ(向田) <谷> ・こうらだに ・うどんたに ・うそのたに(嘘ノ谷、うそんたに) ・うめのたに(梅ノ谷、うめんたに) ・じゃあらだに(平谷) <山> ・ことうげ(小峠) <ムラの中> ・みやのうち(宮ノ内) ・うそのやしき(嘘ノ屋敷、うそんやしき) ・もとやしき(元屋敷) ・にしむら(西村) ・ううの(大野) ※注: 地図中に「ううの」が2つあるが、上の方は畑瀬さんで、下の方は竹本さんから教えてもらったもの。また、下の「ううの」の所には、畑瀬さんから聞いた「みやのうち」も書いた。 「じゃーら」も2つあるが、左側の大きな方は竹本さんの奥さん、右側はだんなさんから聞いたものだが、奥さんの方は地図を見誤った可能性が高い。 「うどんたに」は2つあるが、2つとも竹本三男さんから聞いた。確認したが、どちらともそう呼ぶそうである。
《当日の行動》 ・まず最初、蓬原の調査から入る。松瀬勧さんの家と思われる所を訪れるが、きっぱりと「我々若い者には分からない」と言われ、古老のいる家を紹介してもらう。 ・ここで畑瀬酒店のおばあちゃんと、竹本さんの三男坊こと三男さんを紹介してもらう。 ・まず、近い畑瀬酒店を訪れるが、留守であった。仕方がないので、一路、竹本さん宅を目指す。本当に目的を達成できるのか、かなり不安であった。 ・竹本さん宅ではまず庭先で作業をしていたおばあちゃんに話を聞く。しこ名については理解してくれたが、あまり収穫なし。しかしいろいろとグチを聞かせてくれた。そのうちに三男さんが帰ってきて、多くのしこ名を場所とともに教えてくれた。さらに日本の農林業および政治と過疎の関係など多くのことを語ってくださった。たいへんありがたかった。 ・その後、道端で飯を食っていると、車でやってきたおばあちゃんが納屋を開けて、「こん中で涼んでいきなされ」と声をかけてくれた。納屋の中はたいへん涼しく、助かった。村の人はいい人ばかりだ。 ・このおばあちゃんにお礼を言って、竹本さんに紹介してもらった越道の92歳のおじいちゃんの家を目指す。越道は高台にあり、坂を登るのは非常に苦痛であった。 ・92歳のおじいちゃん、永渕さんはお昼寝中であったので、その息子の嫁と思われる人が応対してくれたが、その家の田んぼのひとつひとつ(一反程)の田のしこ名を教えてくれた。越道ではもう一軒訪ねたが、軽くあしらわれてしまった。 ・快適な下り坂を下り、同じく竹本さんに紹介してもらった畑瀬安男さん宅を訪ねる。ここでもいくつかのしこ名を得、日本の農業についての問題点も語っていただく。 ・その後、橋の欄干で休んでいると、畑瀬酒店のおばあちゃんが帰宅。店を開けたので、ジュースでも飲みながら話を聞こうということになり、店へ行く。しかし、このおばあちゃんからはあまり収穫はなかった。しかし、店があまりに快適なためもう動く気がせず、そのお店でバスまでの時間を過ごす。
《水利の報告》 とにかく上流の者優先であるそうだ。 2年前の渇水では、桂木あたりではあまり問題はなかったそうだが、高台にある越道では深刻な水不足に見舞われ、田には何も植えなかったとのこと。
《竹本さん宅で聞いたお話》 ○おばあちゃん ・山間部は過疎のため年寄が働かなければならない。 ・自治体が宅地を作って人を呼ぶが、うまくいっていない。 ・今年は梅雨の終わりも集中豪雨でなく、しとしと降り続いたため、イノシシに作物を荒らされないようにカッパを着て作業をしたとのこと。 ・イノシシの他にも、サル、カラス、スズメなどに作物を荒らされる。 ○おじいちゃん ・竹本家の先祖は士族であったが、勢力争いに敗れこの地へ来た。 ・過疎化→政治が悪い。 ・米が安く、機械は高い。 ・輸入の自由化。 ・都会では地下鉄など便利なものをどんどん作るが、ここらへんは道路すらまともに作られず、医療施設も充分にない。 ・都会のための山間部→ダム、ゴミ捨て場など。よって、ますます人は都会へ流れる。 ・子供は大学へ行くため普通高校へ行き、バス代がかかったり、送り迎えで大変だったりするし、バス会社はもうけが得られないため値上げする。子供が大学に行けばますます金がかかる等、多数の問題がある。そして、子供が出ていくから過疎化が進み、過疎が進むから子供が出て行く、という悪循環におちいっている。 ・解決策は、政治家が良くなり、農業を魅力的なものとし、農産物は輸入に頼らないようにすべきだ、とおっしゃっていた。 ○畑瀬安男さんの話 ・過疎のため後継者が都会へ出て行き、大変困っているとのこと。
《現地調査を終えての感想》 過疎についての問題点は昔から聞いているが、実際に見るのとは大違いであった。僕らはこのような所で暮らしていける自信はない。しかし実際暮らしている人々がおり、そのような人々の言葉は僕らにとって非常に重たくのしかかっている。しかし、過疎の実態を知っても、僕らには何もできない。知ることだけでも意義があるというならば、この現地調査は僕らにとって意義あるものだったと言える。 竹本三男さんがいなければ、恐らく成功しなかったであろうこの調査。大変感謝しております。 |