【神埼郡脊振村犬井谷】 歴史と異文化理解A 現地調査レポート 1TE96537 大地朋和 1TE96538 大津 亘
犬井谷について 7/11(木)調査
《当日の行動》 当日は区長と生産組合長を含めほとんどが留守だったので、たまたま家にいらっしゃった小柳さんに話を伺った。まず地図を見てもらい、しこ名やそのムラの現在の状況を聞いた。 犬井谷の様子を見たが、宅地が約8軒で比較的小さい集落だった。佐賀市まで、車で約30分で行けるそうだ。
《ムラの現状》 小柳さんをはじめこの村の人達は兼業農家である。約20年前までは専業農家が存在したそうだが、現在は減反政策により、農業だけではやっていけなくなったそうだ。現在、ムラの人達は年金生活者が3人、あと営林省(国家公務員)に勤めている人や、町に出て商売している人などがいる。 昔は水道が通ってなく、井戸水や谷川の水をホースでひいて利用していたそうだが、今では山の方にコンクリート状の水槽を備えていて、そこから水道がひかれて、便利になったそうだ。 ムラの田んぼは、川やわき水から水をひいていて、効果的に水を利用している。 水不足ということはあまりないらしいが、万一水不足のときは待つしかないそうだ。
《小柳さん宅》 私達がこの村を訪れたのは11時30分頃だった。ちょうど昼前くらいであり、家があったので行ってみたが誰もいなかった。5軒くらいの家に行ったがみんな留守で、どうなることかと思ったが、次の家には奥さんらしき人がいた。ご主人はもう少ししたら戻られるので、家で待っていなさいと言われ、ご主人の帰宅を待った。主人の小柳さんは兼業農家を営んでおられ、農業は米を、他の仕事はタクシーの運転をしているということである。小柳さんは地図をたくさん持っておられた。大きい紙に手書きで書かれた犬井谷の地図などもあった。奥さんも一緒に私達の調査に協力してもらった。郵便局員のお客さんもここに来て、お昼を一緒に食べた。本当に小柳さん夫婦には親切にしていただき、人の暖かさというものにふれた。 さて、しこ名のことだが、やはり村の人は地図には載っていない呼び方をするようだ。なんと宅地(人が住んでいる所)まで、しこ名があったことにはさすがに驚いた。そして、田についているしこ名は、その田の周辺のことも指すということを小柳さんにお聞きした。山についているしこ名も同様であった。 まず田についてだが、本当に多くのしこ名があるらしい。その中で覚えていらしたものを全部聞いてきた。 集落の近くから、向山(むかいやま)、近土(きんど)、木屋根(きゃーね)、東谷(ひがしんたい)、岩本(がんもと)、店川(みせがわ)などがある。 それ以外では、丸山(まるやま)、善含開(じぇんのんびらき)、あかだ、墓先(はかんさき)、大下(おおじも)、赤石(あかいし)、名字谷(みょうじがや)、観音滝(かんのんたき)、小長江(こながえ)などがある。辰巳谷は通称「ぼろめき谷」と地元の人達は言うそうで、ここにも一本松(いっぽんまつ)という田があった。 観音橋のすぐ近くを墓峠(はかんとうげ)と言うそうだが、ここでは昔、「佐賀の乱」という戦(いくさ)で亡くなった人々を祭るということでつけられた地名であるそうだ。とにかくここの人は地元をよく知っていらして、完全に土着しているといった感じがした。 次に、畑につけられたしこ名だが、この村は畑に関して言えばあまり多くないようで、犬井谷集落にある佐古山(さこんやま)という畑くらいしか、しこ名を知らないようである。 地図を見てもらえるとわかると思うが、通り沿いの果樹園では10年前くらいからユズを作っているそうだ。そうめんやキュウリなども、みんなこのムラで作ったものとか。この辺りでは流しそうめんなども有名で、「田中」を調べた友達もこの話をしていた。 なにか、ムラの一つで一つのファミリーを作り上げているといった印象があり、現在の都会などに多く見られるような、隣人との関係が皆無に近いといったこととは全くかけ離れた世界だった。こういうことは我々が学ばなければならないことであり、生活する上で極めて重要である気がしている。 田・畑・山のしこ名について前頁で述べたが、川についてもしこ名が存在していた。例えば、「近土川(きんどんがわ)」などというものがあるが、これはもちろん普通の地図には載っていない。名の由来は次に述べることに関係してくる。 家についてもしこ名があり、小柳雄輔さん宅は「向家(むかえ)」といい、竹下熊太郎さん宅は「東家(ひがし)」、寺崎俊夫さん宅は「元屋敷(もとやしき)」といったものだ。そして、西川七郎さん宅は「近土(きんど)」という。この家のすぐそばを流れる、すなわち「近土」のそばをながれる川だから、ここを「近土川」といったりするそうだ。 それと、住宅地図に載っている、集落より上にある川が二手に分かれている所の少し下流の所は、神様が祭られていたということから「天神川」と呼び、上流の所の片方を「まかい川」と呼ぶそうだ。 やはり、ムラの人達は先生が最初に生徒に渡した地図よりも、住宅地図の方がわかりやすいと言っていた。どうも、あの地図では細かい所まで詳しく指定できないようだ。ということで、細かい所は住宅地図の方になるべく書き、谷(東谷<ひがしんたい>、西谷<にしんたい>)などは大きい地図の方に書き込んだ。 今回の調査でまず思ったことは、場所にもかかわらず、生活手段はかなり便利であったということだ。中には家をそのまま放置してこのムラを出て行った方もいるが、生き生きと自分達の生活をマイペースで行っていることを確認でき、また、自分も今まで気づかなかったものが少し理解できたような気がする。また機会があったら犬井谷を訪れてみたいと思った。
《話を聞いた人》 小柳雄輔さん、明子さん |