【神埼郡脊振村政所・今屋敷】 現地調査レポート 1TE96666 矢可部公彦 1TE96635 西脇 英幾 <政所> 古老 実松伊八さん(大正5年12月生まれ) 岡木菊乃さん(昭和9年1月生まれ) しこ名 みやのまえ みやのうしろ にしのはる つりぼり(「つちぼり」と訂正) 学校やしき 神田 くまのかしら ふけ田
<政所> 古老 梅崎四郎さん(大正15年9月生まれ) 梅崎うめさん(大正6年12月生まれ) しこ名 へらのした(平の下) 前田 やまくち よせだ わさだ まつわらくら のぼりみち 山 まるぼやま 地名 ぼうとくぼう 御ぜんし
当日の行動 11時前に僕たちは政所につきバスから降りた。まずは家を訪ねて田や山などのしこ名やこの地域に詳しい人探そうと思って色々と歩き回ったが、どこの家も仕事に行っていて留守の家ばかりであった。ようやく家にいた人を見つけても、しこ名特に田んぼについてのしこ名を知っている人はいなかった。そうこうしているうちに12時になってしまい、僕たちは仕方なくとりあえず遠いほうの今屋敷に行くことに決めた。 行く途中で田の仕事をしている岡木菊乃さんにたまたま出会った。岡木さんに尋ねると親切に僕たちの質問に答えくださってとてもいい人であった。岡木さんによるとここの政所は田んぼの仕事をする家は3軒ぐらいになってしまっているそうだった。 そして田んぼの水は近くを流れる倉谷川から水を利用し、飲料水は9家庭で井戸を使っており、政所の人たちはほとんど井戸水を利用しているそうだった。 1994年の大旱魃のことについて聞くと、水にはほとんど影響なく大丈夫であったが米には影響が出たそうだった。 それから僕たちは歩きながら昼食をとって今屋敷に向かった。途中で道が2つに分かれていて地図を見て歩いていたが、しばらく歩いていくと倉谷と言う別のところに来てしまった。すると、そこを調査することになっていた同じクラスの2人に出会った。僕たちは引き返して先ほどのもう一本の道を歩いて、ようやく今屋敷に着いた。 近くの梅崎四郎さんの家で色々と尋ねることができた。梅崎さんはもう田んぼの仕事はしていないそうで、今屋敷では昔は12軒あったが今では3軒しかないそうだ。 飲料水は山からの水を利用しているそうだった。そして梅崎さんに今屋敷で田をしている人について尋ねると、近くに住んでいる同じ名字の梅崎ウメさんのことを言われたので、そこを訪れた。梅崎さんに聞くと、田んぼの用水はやはり政所と同じで、倉谷川の水を利用し、昔は裏作で麦を作っていたそうだ。例年は1反70位の収穫だったが、一昨年の大旱魃はやはり不作だったそうだ。しかし水には問題がなかったようだった。 今では田んぼ以外はほとんどしていなく、田もだんだんしなくなり荒れ地が多くなり過疎化に悩んでいるようだった。 それから僕たちは時間がかなり余ったので、政所についてもう少し調べようと始めに行ったとき留守だった生産組合長の実松伊八さんの家を訪ねた。 実松さんはさすがに色々なことを知っておられて、しこ名がたくさんわかりました。また、神社があったから「神田」、「ミヤノマエ(宮前)、「ミヤノウシロ(宮後)」と名付けられたとか、部落を中心にして西側にある田を「ニシノハル」と名付けたとか、昔学校があったから「学校ヤシキ」とか色々教えてくれました。 水についてはやはりかわ倉谷川から、飲料水は井戸を用いているそうです。一昨年は他と同じく水には困らなかったが、例年は1反80のところが、その年は1反10位だったそうだ。また、今年は逆に水が多すぎて、田に影響を与えているらしい。さらに、昔は裏作で麦を作り、その麦を近くのうどん屋に持って行き、うどんを作っていたそうだ。また田の他にお茶を作っていて10年前くらいまではミカンも作っていたそうだ。 話を聞いたあと、まだ2時間くらい余っていたので僕たちは先ほど聞いたうどん屋に入った。そこで倉谷について調べることになっていた2人に会って、そこでゆっくりと時間を過ごしてバスが来るのを待った。 |