【神埼郡脊振村今古賀・宮之内】

歴史と異文化理解A 現地調査レポート

ST-16 1TE96613 杉安和憲

同 1TE96577 植村篤人

しこ名一覧

 ヒエ田

 ヨナ田

 オオバタケ(大畑)

 シンノマエ

 キンド

 カキャノ

 ハッタ(初田)

 シモノハル(霜のはる)

 ハカノマガリ(墓の曲がり)……曲がり角で近くに墓がある。

 ヨンデン(四田)……昔は4枚田があったが今は3枚。

 ウド

 コイコイ山

 竹ノウチ

 ウシロヤマ(後山)

<しこ名について>

 しこ名は、「四田」……昔は4枚田があったが今は3枚。「ハカノマガリ」(墓の曲がり)……曲がり角で近くに墓がある。おばあさんが50年位前にこの土地に来た時はすでに畑だった。シモノハルこの場所だけかなり寒くよくシモが治。のようにそれぞれにちょっとした依頼を持っている。「ウド」「竹ノウチ」「コイコイ山」、「カキャノ」などはその場所の山などの呼び名である。田んぼに11枚それぞれしこ名があるわけではなく、その辺り一帯をすべてしこ名で呼ぶ。

<水利について>

水は近くの川や谷から取り入れる。下の集落はコックをひねるだけで水は簡単にとり入られるようだが、中の集落である、今古賀、宮之内は工夫が絶対必要だそうだ。話で聞いたり目で見たりした工夫は下図のようなものである(図省略:入力者、以下図の説明を摘記)

・田(川より高い位置にある。)

川の少し上流をせき止め、そこからかなり長いタイプで水を引く。

・川(水の流れが少ない。)

ビニールを使って小さな貯水池を作り、アイクで水を引く。

また水についての工夫は他にもあり、谷からの水は非常に冷たいため、夜のうちに水を田んぼに入れて昼の太陽の光で温めるそうだ。

また、雨の時は水が内に入らないように、水の入り口を止めることも重要だそうだ。この地域のコメは気温の日格差が大きいため、美味しいらしい。

水の入り口付近の青の斜線部(図省略:入力者)くらいは、「ミナクチ」と呼ばれる部分で、水も冷たく田ん中の他の部分と違って生育が遅れる。

1994年の水不足では、今古賀のおじいさんの話によると雨を待つしかなかったそうだが、宮之内のおばあさんの話によると、水が温かかっため例年よりも少し多いくらい米がとれたそうだ。

また、水と木の関係は大きいらしく、木を切られた山の下の田んぼは必ず水浸しになり、米ができなくなる。他には雪がたくさん降った後の年は豊作だそうだ。

 

おばあさんの話について

しこ名について聞いているうちに話がだんだん違う方向へ流れていった。今この辺り、宮ノ内や鹿路、萩野、今古賀では若い者が出て行って後継者がいないらしい。確かに村には人がほとんどいなくて、子供と嫁さんとおじいさん、おばあさんはたまに見かけるが、若い人はいなかった。嫁さんは(若い)しこ名と言ってもよく知らないらしいし、今の若い人もほとんど知らないそうだ。

そんな話をしているうちにちょうどお昼時だったので、家でご飯をご馳走してくれた。やっぱり田舎の人はいい人だ。ご飯を食べながら、孫の勉強態度についてや大学受験のこと、あと親戚の女の子の就職のことなどを語った。どうやら今女の子の就職はでもきついらしい。まず、車の免許と車を持っていないといけないらしく、職に就く前に金を使って車と免許をとったらしい。さらに、最後には記念に写真を撮ってもらいお土産にせんべいとジャガイモまでくれた。とても良い人だった。しかし、僕たちは名前を聞くのをすっかり忘れてしまった。あと書き忘れたが、村の人の食事はほとんどが自給自足で、お漬物など野菜が多かった。あと家の中はクーラーがあるわけでもないし、外はとても暑いのにとても涼しかった。夜になるととても寒いらしい。布団を用意し、それにくるまってテレビを見るそうだ。

 

 



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