【神埼郡脊振村本村・後山】

現地調査レポート

《班員》田中 慎吾

井上 陽統

小佐井一樹

 

 

古老の方(おばあさん)は生年も名前も教えてくれませんでした。(名字内村)

 

《しこ名一覧》

 <本村地区>

 ・いけだ(田)

 ・長作(ながさく、ちょうのさくとも言う)(田)

  ・やふつ(田)

 ・しみずだ(畑)

 ・にゅうどう(谷)

 ・ひんがし(ムラの中) 

 <後山地区>

 ・きたうら(田)

 ・うえんやしき(山)

 

  本村に入っていくと、地区の入口に本村・後山地区の人々の墓があって、もうしばらく進むと、はじめの家があった。しかし、誰もいなかった。その家のそばには古い木造の小屋と、がらくた置き場のようなものがあった。しようがないので次の家に行くと、そのそばに土塗りの壁の倉があった。しかし、草ぼうぼうで、使われている形跡はなかった。次の家の人にしこ名のことを聞いてみると、裏の畑に行っているおばあさんに聞いてくれと言われた。そこの家の犬が2匹吠えかかってきて怖かった。それから、裏の畑に行ってみると、おばあさんがチェーンソーをふるって芝を刈っていた。その人に話を聞くと、こころよく話してくれた。

  まず、この本村地区の名前の由来は、昔はここに家が三十数軒あって村の中心みたいになっていたので、「本村」と呼んでいたそうだ。

  次にしこ名の由来を聞いた。そのおばあさんがいたところは「しみず」だと言ったが、そこは昔、清水が湧き出ていたのが名前の由来だそうだ。清水は、そのおばあさんがその家に嫁いでいた時まで湧き出ていて、飲料水にしていたそうだ。

  「うえんやしき」の名の由来は、昔、人家が多かった時のなごりだそうだ。昔ここでボヤがあった時、役場に通報したら、家が燃えていると勘違いされたそうだ。

 

《水利の報告》

  両方とも村の中を流れている小川から引いていた。ききんの時はたいした影響はなかったようだ。

 

《当日の行動》

  鹿路神社付近でバスから降り、本村の方に歩いて行く途中で、こえだめが現役で働いていたのにはびっくりした。中身が入っていた割にはたいして臭わなかった。神社の公衆便所は汲み取り式だったので、そこから汲み取っているのかと思った。

  田んぼを見ていると、田んぼは段々に作ってあり、それぞれの田んぼに直接川から水を引くのではなく、一番高い位置にある田んぼにまず水を引き、それからその田んぼからあふれてくる水を次の田んぼに流していた。

 

  この水の引き方は福岡県でも見たことがある。

  なんでしこ名を調べたりするのかと聞くので、将来開発が進んでそういう名前がなくなっていくので、今のうちに記録しておくのですと答えると、ここらへんの土地は山が多く、機械が入るように田んぼを広げたいが、それも難しく、また過疎のため人数不足で広げられないと言っていた。

  また、田んぼは畑やビニールハウスにとってかわってしまった。

  割と話をしてくれたが、このおばあさんもあまりしこ名に詳しくなく、お姑さんから教えてもらったということでした。

  この後、用音寺という寺を訪ね、中年の女の人がいたが、知らないと断られた。

  本村ではもう一人の古老の女性がいたが、その人には激しく断られてしまった。

  後山では二軒の家があったが、一軒は留守で、もう一軒には古老の女性がいたが、この人にも知らないと断られてしまった。

  結局、話が聞けたのはたった一人のおばあさんだけで、あとは何も聞けなかった。

  少し気づいたことだが、田んぼや畑にいたり、家にいたのはほとんど女の人だった。



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