【神埼郡脊振村広滝・藤ヶ倉】

歴史と異文化理解A(服部教官)現地調査レポート

1TE96650 松尾

1TE96654 満生

 

《しこ名一覧》

・長瀬町(ナガセマチ)

・池ノ前(イケンマエ)

・池ノ本(イケンモト)

・北ノ上(キタンカミ)

・北ノ下(キタンシタ)

・墓ノ前(ハカンマエ)

・墓ノ下(ハカンシタ)

・谷ノ中(タニンナカ)

・谷ノ本(タニンモト)

・山ノ前(ヤマンマエ)

・山ノ下(ヤマンシタ)

・三瀬田(サンセダ)

・二瀬田(フタセダ)

・七瀬田(ナナセダ)

・河原ノ中(コーランナカ)

・河ノ原(コーンハラ)

・苗代田(ノーシロダ)

・大瀬町(ウーデマチ)

・西ノ河原(ニシンコーラ)

・下ノ河原(シタンコーラ)

・三角田(サンカクダ)

 

比較的に若い世代の方(明らかに昭和生まれ)に聞いたため、古老の方にしこ名を尋ねることがなく、したがってしこ名を聞いた方の生年は省いた。

 

我々(松尾・満生)は理由あって7/11(木)の調査に参加できなかったため、後日個人的に佐賀県神埼郡脊振村へ調査に行ってきた。

班長の早原君から藤ヶ倉の地図と「人家なし」の情報を受けた時は、「おいおい、大丈夫かよ」と思った。

大きな不安を胸に広滝のバス停で降車し、とりあえず役場に行こうと思ったのだが、日曜日だった。仕方なく近くのガソリンスタンドのおじさんに「藤ヶ倉はどっちですか?」と聞くと、「この右の道をずっと行けば着く」と教えてくださったが、その道の方へ歩いて行こうとすると、「歩いて行けるところじゃないよ」と親切な一言をかけてくださった。「そ、そうですか…」と言いつつ、単位のためなら仕方ないと、どれくらい歩いたことだろう。山の中に埋もれた藤ヶ倉のバス停を見つけた時には、気が遠くなる思いがした。

 

前置きが長くなったが、ここからやっと調査が始まった。人家を見つけ出すのにも苦労したが、それは長くなるので省く。調査をしていて分かったことに、「田ん中のしこ名を教えてください」と言っても通じないということがある。具体的に「今日はどの田に水を入れる」とか説明しないと分かってもらえなかった。そして、その名前のつけ方が実に単純明快なものであること。山の前にあるから、「山ノ前(ヤマンマエ)」とか、川の西にあるので「西ノ河原(ニシンコウラ)」といった感じだ。

私達が田ん中のしこ名と呼んでいるものは、彼らにとって余りにも身近な存在であるため、客観的なしこ名という呼び名が通じなかったのであろう。

もう一つ分かったことは、村の人や家の人が田ん中の名前を使う時に、本来つけられている名前とは少し違った呼びやすい名前にアレンジして呼んでいるということだ。こう書くと多少オーバーな表現かもしれないが、内容は「省略」と「なまり」があるという、ただそれだけである。例えば「大瀬町」は「ウーデマチ」になり、さらに「ウーデ」になる。「苗代田」の場合は「ノーシロダ」がさらに「ノーシロ」になるのである。

どのしこ名についてもこのような事が言えると思う。中でも最後が「〜町」や「〜団」で終わるしこ名は、町や田という発音が省略されるということがほぼ全てについて言える。

 

次に一昨年の渇水について尋ねたが、これは村の中でも地域によって事情が異なっていた。ある所では山水をバケツにためないといけないほど不足したらしいが、少し離れたところではその1年前の雨のたくわえがあったらしく、特に対策を立てる必要はなかったという。

 

広滝には九州電力の水力発電所があるため、現在は地下水を利用する事もできないが、30年前なら利用できただろうと語る人もいた。家庭で井戸水を利用しているところは苦労したらしい。

 

最後に、今後の日本の農業についてだが、これは余り明快な回答が得られなかった。一般にも言われることだが、次世代の農業を支えることになる農業人口が絶対的に不足していることが問題であるらしい。こういった問題から、農作業的、収穫的にも効率が追及されることになるだろう。



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