【神埼郡脊振村東鹿路】

歴史と異文化理解A 現地調査レポート

1TE96653 松本憲幸

1TE966 吉永武史

聞いた人

 山口実さん(50歳ぐらい)

 

 当日711日は東鹿路村の老人が健康センターみたいな所へ出かける日であったので、古老はすべて出かけていたので比較的若い人に聞かざるを得なかった。また水利慣行については特にない、または知らないと言う返答でした。

しこ名一覧

<田>

 オイボシ田

 オモテ

 ギットン……昔、ここにあった水車を利用して脱穀していたことから水車の擬音語が田のしこ名になった。

 耕地

 ジャーラ……現在は作られていなく植林されている。

 ズナビャーシ……砂地の田という意味。

 ゼンマイワラ……ゼンマイ原

 チャーデン……現在は肥料土地になっている。

ニシンタイ……西の谷の意味。

ネキダイ

平原ノ辻

フー……ジャーラと同じ。風田。

フルヤシキ……古屋敷

ヤマンシタ……山の下

ヨシムタ

ロクロダ

<畑>

 シューローダイ……一部運動場になっている。

 ハサコ

 

当日は暑い中30分から40分かけて歩き、東鹿路村に行った。途中に肥料耕地があるとても臭かった。

村に着いて 1番最初の家は留守であったので2番目の家に行った。行く途中誰一人として田んぼに出て働く人がいなかったので不思議に思っていたが、実は二番目に入った家でその理由が判明した。当日は老人が健康センターに行く日に当たっていたのだ。幸い、50歳台の人が全てのしこ名をしていたので調査の支障なかった。

その話の中でチャーデンが現在は肥料工場に変わったと聞き、来る途中に見たあの工場が昔は田んぼだったのかと思った。また、話の途中一番印象に残ったのはシューローダイの一部が運動場となっており、その上、下を運動場の上、下と呼んでいることであった。なんと適応が早いのだろう。

調査は30分で終わってしまい、行き来の時間と合わせても2時間で十分だった。一番きつかったのはバスを4時間も待つことだった。



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