【神埼郡脊振村一番ヶ瀬下・馬場野】

歩き、見、触れる歴史学 現地調査レポート

1AG95135  菅 綾子

1AG95109 近藤いづみ

1AG95138  杉本昌也

 

 

《話を聞いた人》

・末次 徹さん(生産組合長、昭和249月生)

・音成雄一さん(大正1212月生)

 

《しこ名》

  みょうじょうのつじ、やかた(屋形)、あざめわら、ひのくち、ひきじん、やおちやま、ふうしけん、かわはらだ、まえだ、なかむら、うーさく、あんのうら、きたのうえ、こが、やのたに、こやんたに、うまかんのん、ささのせ、たいこふち、えんてん、いでくち

水路:しにいで、われいし

 

《当日の行動》

  AM08:15  六本松正門に集合

    AM11:00頃 一番ヶ瀬下に到着

  まず、一番ヶ瀬下の区長の末次庄太郎さん宅を訪ねる。しかし、不在。

  そこで生産組合長の末次 徹さんを紹介してもらい、訪ねてみる。末次さんは畑で作業中とのことで、畑まで行って話を聞く。そこで一番ヶ瀬下付近のしこ名を教えてもらう。そして、末次さんから馬場野付近に詳しいという音成くすおさんの家を教えてもらい、訪ねてみたが不在で、奥さんから音成雄一さんを紹介してもらう。

  ちょうど昼時だったため、作業から戻ったばかりの音成さんに会うことができ、話をいろいろと聞く。

  その後、一番ヶ瀬下の昇さん宅でトイレを借り、脊振村の村史を見せてもらう。明治以前の歴史から載ってあり、とても驚いた。

それから地図で街を見つけ、そこへ向かってひたすら歩く。40分くらい歩くと、やっと郵便局やお店のあるところに出る。そこで昼食をとり、バスが迎えに来てくれるのを待つ。予定の時間まで余裕があったのでお店の中に入っていると、バスが通り過ぎようとする。必死で追いかけ、やっと気づいてもらい、無事バスに乗る。バスの中では、暑さと歩き疲れから熟睡する。5時過ぎ、六本松に到着。解散。

 

《音成雄一さんから聞いた話》

  私たちが音成さんから教えてもらったのは、馬場野付近のしこ名と歴史についてです。音成さんは明治時代の頃に使われていた数多くの地券を大切に保管されており、それを私たちに見せてくださいました。当時はその地券がないと土地の売買は成立しなかったそうです。この地券によると、佐賀県は昔、長崎県であり、その後分離して伊万里県となり、すぐに現在の佐賀県へと変わっていました。

また、音成さんの話によると、馬場野付近では昔、馬に乗って射の稽古をしたりしていたそうです。そして、この付近の人々は天台宗を信仰していたそうですが、黒田藩との戦によって攻められ、今では天台宗の人はほとんどいないそうです。

水路は、現在は城原川から「しにいで」と呼ばれるものが道路沿いにひかれており、これがそれぞれの水田に流れているとのことです。

 

《今後の農業に対する展望》

  最近では野菜や米などを輸入し、安く消費者の手に渡るような仕組みがあるため、家族規模で農業を営んでいる専業農家の人々は大きなダメージを受け、農業だけで生活することが難しくなっている。しかも、若者がどんどん農村から出て行っているため、後継者問題も生じている。そのため、専業農家から兼業農家に変わっていく場合もあるらしい。今後、子や孫の代がこの土地で農業を続けていくことには、あまり期待されていないようだった。



戻る