【杵島郡大町町寺口、道金町】 中世の村と人々 現地調査レポート 1LA94260 村山 亜希子 1LA94269 安本 由香 1LA94272 山口 泉 1LA94276 山口 摩里子 1LA94284 山本 綾子 調査日 1995年7月11日(火) 話者:寺口生産組合長 竹下輝夫さま(51才) 道金町生産組合長 吉村栄さま(66才)
<しこ名一覧> 1.寺口 ・堤上(つつみうえ) ・堤下(つつみした) ・役場裏(やくばのうら) ・鉄道南(てつどうみなみ) ・新川(しんがわ) ・川尻(かわじり)…元の六角川の川尻 ・新ヶ江(しんがえ) ・中ブラ(なかぶら) ・中村(なかむら)…中村さんの所有していた土地 ・横割(よこわり)…畝が東西に伸びている ・縦割(たてわり)…畝が南北に伸びている ・江後(えご)…満潮時の六角川の後ろの部分にあたるから ・ななめ水路(ななめすいろ) ・学校下〔南〕(がっこうした〔みなみ〕)
○水路のしこ名 ・杉谷水路(すぎたにすいろ)…第二杉谷溜池からひいた水路 ・込堂水路(こみどうすいろ)…込堂溜池からひいた水路 ・ななめ水路…田んぼをななめに横切っている水路 ・下町水路…寺口から見て下(南)側にある部落の方へひかれている水路
2.道金町 ・鳩ん巣(はとんす)…昔、ボタ山の所は堤で、そこから引く水の量を均等にする目安として水の太さを鳩の巣の大きさにしたことに由来 ・兵隊山(へいたいやま) ・極楽寺(ごくらくじ)…この付近に、丸塚という兵隊の墓があったことに由来 ・はすあだい ・中小寺(ちゅうしょうじ) ・とろく観音様(とろくかんのんさん) ・出店ん前(でみせんまえ)…今の六角川が昔はこの辺りにあり、港として栄え、出店があったことに由来 ・えびす峠 ・道金様(どうきんさん) ・堤の上(つつみのうえ)
1.寺口 ・竹下輝夫氏の自宅に訪問して調査。〔テープ使用〕
・水利と水利慣行 第一杉谷溜池…寺口 第二杉谷溜池…小通 ※ボタ山…昔は堤だった。しかし、その谷が埋められた為、この堤を利用していた小通部落は共同で第二杉谷溜池を作った。 込堂溜池…道金町 砥石川溜池…下町 ※ななめ水路は本来大町町の東方の部落のものだが、途中の田ん中でも使用できる。 ※堤の水の売買はできない。(余裕のある所が余った分をまわす。) 第一杉谷溜池は10万t貯水し、寺口の田(10町分)に配分されるのに対し、第二杉谷溜池は5万tで小通の田(30町分)に配分されるので、足りなくなると寺口の水路から余った分をひいてくる。
・昨年の旱魃における水対策 今では完整水路ができているので、全ての堤から取水した水が全ての田に行き渡る仕組みになっているのだが、昨年の旱魃においては昔の堤ごとの配分に従って水をひいた。ここで争いが生じたが、寺口は他の地区に比べて水が豊富だったので、収穫量には影響しなかった。
・村の耕地 <収穫>鉄道下:580kg、中腹:450kg、山際:380kg →平均480kg位、それぞれの地区内ではあまり差はない。 <裏作>大麦 (1割小麦) 南の方では玉ねぎ、イチゴ、キュウリ <肥料>昔:油かす、魚粉 牛馬耕→堆肥、鶏ふん S30頃から化成肥料(窒素、リン酸、カリ) 現在は有機米用に堆肥等を使う。 ・田ん中の値段 S38 100×10m 20万円 S43 100×10m 40万円 S48 100×10m 80万円 S58 100×10m 260万円 S60 100×10m 300万円 しかし、現在は年間15万ずつ下がっている →米の自由化により将来の見通しがきかなくなっている為。
2.道金町 ・吉村栄氏の自宅に訪問して調査。〔テープ使用〕
・村の範囲について 昔、六角川は小通籠の北を流れていた為、大町とは別の地域であり、水利も別の慣行に従っていた。しかし、六角川がまっすぐだったので満潮時に被害が大きかったことにより整備が行われ今のようになり、これに伴って、小通籠は大町に含まれた。
・村の水利のあり方 六角川を整備する以前は、満潮時に水が上がってきていたが、この水は塩水であり真水ではなかった。
・昨年の旱魃における水対策 道金町は込堂溜池を昔から所有していた為、多少の争いはあったが、ゲートを使用するなどして被害はあまりなかったが、溜池を所有していない新たに大町に組み込まれた地域などは収穫ゼロという被害を受けた。
・道金町の名前の由来 昔、道金様というお宮があったことから名付けられた。今でもこのお宮があった地域の田ん中のしこ名として存続している。 ※この方によれば、「学校下」「鉄道南」「役場裏」などは比較的新しいしこ名であるとのことである。 |