【杵島郡北方町大渡、蔵堂、永池】

歴史と異文化理解A 現地調査レポート

S1-17 1TE96627 寺沢 淳一

S1-17 1TE96652 松本 直樹

S1-14 1TE96797 秋山 耕一

 

*しこ名

 ・寺屋敷

 ・■(入力者注:字画不明, ごう」の音注アリ、原本は佐賀県立図書館所蔵)蔵屋敷

 ・喜佐ノ木

 ・寺地

 ・一ノ角

 ・簑具崎

 ・新ヶ江

その他現地の古老の話によると、田んぼにしこ名などは付けていなかったということであった。そこで私たちは「近所の人たちだけで使っていた田んぼの呼び名はなかったのですか」と尋ねると、「〜さんの家の前の田」「〜さんの家の裏の西の田」などと呼んでいたそうだ。

 

*古老に聞いた村の歴史

古老によると大渡、蔵堂、永池のあたりは橋下村であったらしい。その後、昭和30年頃北方町と白石町に分村したそうである。北方町へは6部落、白石町へは4部落分かれたということであった。

このあたりは現在区画整理され整然としている。そのため古老にかつての田んぼの様子を聞いても分からなくなっているようであった。

また、かつて同じ村であったのに、すぐ近くの家と分村によって他の村になってしまったと言う事を語っていた。区画整理前の航空写真を見れば分かるのにとおっしゃっていた。区画整理前の様子を知るには、かなりの古老に聞かなくてはならないようであった。

 

*当日の行動

当日僕たち3人は午前5時に起きて、2人は電車で、1人はバイクで佐賀まで向かいました。約束では8時10分ごろに大町駅で待ち合わせをするはずでした。しかし、バイクの人は時間通りに着いたけれど、電車で行った2人は肥前山口で白石方面と大町方面にひとつの電車が分かれるのを知らず白石方面に行ってしまい、慌てて戻りました。しかし電車が1時間に1本のペースでしか来ていなくて、大慌てで肥前山口駅から大町駅までの約10 kmを1時間くらい掛かって歩きました。その間バイクで行った人は間違っていたのかと思い、北方駅と大町駅の間をバイクでずっと行ったり来たりを繰り返していました。予定より1時間30分ぐらい遅れ、9時50分ごろにやっと集合できました。

そしてそれからみんな疲れているにもかかわらず、情報収集を始めました。まず僕たちは、大町橋の周辺から聞き込みを始めました。仕事をしているおばさんにしこ名を尋ねたところ分からないそうで、区長さんを紹介してもらいました。そこに行って聞いたところ、そこでも小字しか分からないらしく、田んぼ一つ一つはそんな呼び名はしていなかったとの事でした。それで昼頃まで歩き回ったけれど、しこ名の情報はあまりありませんでした。そこで僕たちは代々農業をしていらっしゃる家を教えてもらうことにしました。そこで僕たちはしこ名らしいけれどもそうでもないらしい呼び名を手に入れました。その辺では昔、その辺の田んぼの近くにある家を基準にして呼んでいたそうです。例えば「〇〇さんちの北」とか「〇〇さんちの南」とかで、僕らが思っていたような呼び方ではありませんでした。

それから代々農家の家を聞いて訪ねまくりました。そして5時ごろ3人とも歩けなくなったので集めるのをやめにしました。

感想はというと、小字としこ名らしきものがごちゃごちゃになっていたという感じでした。また、農家の人々は皆優しく気持ちよく応えてくれました。8時間ぐらい歩きっぱなしでとても疲れました。それから帰ったわけですが、またもや電車がなく、1時間待って佐賀まで戻って博多に帰りました。



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