【杵島郡大町町下大町二】

中世の村と人々 現地調査レポート

S1-13 1TE95737E 吉田 雅胤

柴田

丸野 祐策

話者:古賀 秀三郎さま(71)

古賀 正雪さま(66)

 

<しこ名一覧>

・一本松

・二木くろぎ

・ふかえ

・みつえ

・かねかぶり(瓶冠篭)

・新村

・がわ

・かめかぶり

 

溜池の名…砥石川ため(10万t)

橋…二つ橋

 

・古賀秀三郎氏が覚えているだけでここに住んで七代目。110年間。

・旧国道のところまで波打ち際であった。

・古賀秀三郎氏が農業をするころには化学肥料だった。さらに昔は、大豆のかす、にしんを乾燥させて使っていたそうだ。(満州産)

 

1994年の干ばつの時

昭和3年にスコップ・トロッコ等を用いて3年かけて掘った、人工溜池のおかげで助かったらしい。ちなみに溜池を作った人々は日当をもらっていた。

 

・ホリは圃場整備で昭和48年になくなった。

・現在の収穫は、8〜10半俵、悪いとき(1994)7俵

・昭和30年ごろまで、牛・馬を使っていたらしい。

・古賀秀三郎氏は一丁八反の田ん中を持っておられる。昔はこの一帯をW大沼地Wと呼ばれていたらしい。

・江戸の八代将軍のとき竜造寺と鍋島の戦があり、そのとき橋がこわされた。

・うま田の渡しは、橋ができてなくなった。

・溜め池は30日雨が降らなくても大丈夫。

・現在、”10.45%”が減反対象になっているそうだ。個人的に減反するより、集団でした方が補助が多いので、3人で減反したそうだ。

・干ばつのとき

一度、田ん中に水を入れ、少し染み込んだら出して、次の人の田ん中にいれていたそうだ。

 

○感想

とにかく雨がすごかった。そのおかげといってはなんだが、地図を紛失したので手書きの地図を使った。

一軒目はかやぶき屋根の110年目のお宅らしく、おもむきがあった。周りがずーっと田ん中でいいところだった。(雨が降っていなければ…)色々、学ぶことがあった。



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