【杵島郡大町町小通町】

現地調査レポート

 

話者:三根 勝次さま(大正12年生)

   武村さま

 

<しこ名一覧>

1.こどおりごもり

2.みつえ(満江)ひかん…排水口

つっきり()ひかんとみつえ(満江)ひかんの合併

3.なるどみひょうどのつっきり

4.南えご

5.東えご

6.うらえご

4〜6の周辺の田ん中は「南えごの○○(所有者の名)の田ん中」などと呼んでいたため、世代ごとに田ん中の名前が変わっていた。※えごは川のこと

7.さのかく(三角)

8.しのかく

9.でんきゅう

10.さんだんがく(堤の外の意)

11.うでほか(21も)

12.じょうせきゆび(爪占指)

13.さんぼんくろぎ(黒木)ごもり

14.いっぽんたにごもり

15.にほんくろぎ(黒木)ごもり

16.へい()しんがい

17.はたどこ(畑所)

18.よこわり

19.すぎたに水路

20.うなっきり(うなぎきり)

21.うでほか

22.とおりでい(幹線道路に近いものだったため)

23.ろくたん(六反)がく

 

◎水利のあり方

・主に第二杉谷溜池から水を引く

・下大町、小通が共同で水を使っていたが乾水時には水を引いていた砥石川をめぐって対立。

・昔の水不足の際は冬にホリを掘って、水をためておいた。掘ったあとのゴミなどは肥料にして使った。

・昔、炭坑※があった時代は炭坑から水を引いたこともあった。※炭坑はS44に閉鎖

・水争いをすると小通は人数が少ないために負けていた。

・六角川の水(塩水)を用いて雨ごいもした。

・地図中の満江ひかんとつっきりひかんは圃場整備により1つに合併(S51)

 

◎耕地

・小通は水路などに囲まれていて、外側は内側より土地が低かったので、大雨がふると外側の田ん中は水につかって収穫量が落ちていた。

・昔は油で「ふじんしゃ」という虫を殺していた。

・1反当り…7〜8俵(明治〜大正)、8〜9俵(昭和初期)

・戦後は品種改良などにより、よりおいしい米を作れるようになったが、収穫量が減るというデメリットもあった。

 

◎その他

・炭坑を閉鎖する際、記念館みたいな物を残そうという話があったが、記念館をどこにつくるかで周辺の村々が対立。結局つくれなかった。

 

・大町にある国の重要文化財 〜三根さん所有の資料より〜

土井家…幕末時代の珍しい「町家」として、昭和49年2月、国の重要文化財に指定された。建築年代を確定することはできないが、持ち送りの波形絵様や、全体の構造手法から、19世紀初期頃の建物といわれている。以前は、造り酒屋であったものを、明治の初めに土井家の所有となり、それ以後、農家として使用されている。したがって、農家風に土間が広く作られており、地方民家の1形態を示すものとして貴重な文化財である。

※写真省略

 

◎感想

1日の午前、午後でそれぞれ武村さん宅、三根さん宅を訪問したが、両氏ともとても丁寧に分かりやすく教えて下さった。ちゃんと調べられるかどうか不安だった自分たちにとってはとてもありがたかった。最初はお宅が分からずに、近所の人に尋ねたり、農協に行き、詳しい地図をもらったりと苦労したが着いてからは楽に作業を進めることができた。教えていただいた方々には感謝したいと思う。



戻る