【杵島郡大町町神山、不動寺】 中世の村と人々 現地調査レポート S1-12 1TE95740 池田 洋介 S1-13 1TE95800 三井 雄二郎 S1-12 1TE95761 斉藤 世継
<神山> 話者:荒木 国政さん(神山の生産組合長)
*しこ名について 今回の現地調査の大きな課題であったしこ名の聞き取りは結局することができなかった。神山の生産組合長の荒木国政さんのお話では、しこ名のようなものが昔あったかもしれないが、今は使っていないし、知っている古老もいないだろうとのこと。ここからは自分達の予想であるが、ここ神山は比較的新しい部落で、昔から現在使われている小字が使われていたのではないか。荒木さんも昔から呼び名は変わっていないと言われていた。よって地図には行政的な地名と同じになるかもしれないが、荒木さんにお聞きした小字を書いておいた。
*水利と水利慣行 砥石川地区、柴原地区、杉谷地区は不動寺耕地整理溜池から水路を使い水を引いている。今寺地区は込堂溜池から水を引いている。神山には他に第一、第二杉谷溜池、砥石川溜池などがあるが、これらの溜池は道金町の田ん中の為にあるらしく、神山の方は手が出せないらしい。ただ、昔も今も水争いは絶えないらしい。自分の田ん中に勝手に水を引いたりする人はいるらしい。罰などはないらしい。溜池の管理を10年、20年とそれだけを行うベテラン(水当番と呼ばれている)がおり、水を出すのは晴れの日、時期は主に稲作が行われる6月〜9月。昨年の水不足対策としては作付面積を例年の半分にした。ちなみに昨年のような大旱魃が30年前の出来事だったとしたら?とお聞きしたところ、おそらく全部枯らしていただろう、と言われた。 肥料の割り当ては農協が決めている。毎年の収穫は、良い田ん中で1反あたり420kgぐらい、悪い田ん中で1反あたり360 kgぐらいとれる。今寺などが良い田ん中、柴原は悪い田ん中にあることが多い。
*その他 最後に神山がこれからどのように変わっていくと思われますか?とお聞きしたところ、若者は出稼ぎ者が多く農家も減ってきているから、おそらく住宅地になるのではないか、と言われた。
<不動寺> *不動寺について JR大町町駅付近から北へ歩き、神山から北東の方へ山道を入り更に20分ほど登ったところに不動寺がある。山道は林に囲まれ、辺りに田畑は見られない。山のふもとの神山付近ではたくさん見られたため池も上の方ではほとんど見られなかった。不動寺の部落には20軒ほどの大きな家があり、一ヶ所に集まっていた。 山のふもとの平野は江戸時代の初期までは海だったらしく、平野の村々は新しいが、山の上にある不動寺は辺りでもかなり古い村の1つだったと考えられる。 不動寺や神山は、大昔は更に山の上にあったが、江戸時代の末期に現在の地へ移動したらしい。
*しこ名について 今回の調査の結果20ほどのしこ名を得ることができた。しこ名はそれぞれの家の畑ごとにあるらしく聞き出すのは難しかった。最近耕地整理があり正確な畑の範囲はわかりにくいが、名前を挙げてみると、西から ・ひゃーほい ・めんじゃこ ・いけだ ・どうのまえ ・みゃーびら ・こだに ・こもり ・にしんじゃら ・かいまた ・はなぐるし ・くまのつり ・むかえ ・わたいぐち ・うまんこね ・しいのきだに ・うまころしだに 以上である。 ちなみに「うまごろし谷」は昔はおばすて山であり、「うまんこね」は山道が馬の骨の形をしているところから付いた。他にも池の横にあることから「いけだ」、寺のお堂の前にあったことから「どうのまえ」、椎の木があることから「しいのきだに」など、場所の位置関係や形によって付けられた単純な名前が多かった。
*村の耕地 不動寺は山麓の村で、水田はほとんどなく、家によって自家用に耕作しているだけである。果樹園や畑がほとんどで、主にみかんを作っている。今では、出稼ぎに出る若者がほとんどで耕作による収入だけではないらしい。山の上は大雨で雷もひどく実際に畑を見る事は出来なかったが、地図でわかる通りかなり広範囲に渡って畑があった。
*水利と水利慣行 話を聞いて驚いたのだが、この村には溜池がほとんどなく、水は天水(雨水)だけに頼っている。そのため、神山と違って水の争いはなく、用水路のようなものも少なかった。昨年の大旱魃の時も大した対策も取らずに、少ない雨で頑張っている。しかし収穫が少ない分、作物の値段が上がるため、収入としてはあまり変わらなかったらしい。
*その他 これからの展望について語ってもらったところ、神山と同じように若者が出稼ぎで跡継ぎがいないため、畑を継いでいくのは難しいと言われていた。
<感想> 不動寺での畑は水対策がないことにまず驚くばかりだ。天水(雨水)に任せれば毎年の収穫は一定ではなくなるのは明らかで、もしかするとすべての農作物がボツになることもあるはずだ。確かに、収穫量が少なくなれば値段も上がり収入は変わらないが、そんな危険な状況のもとで生活して行くのは自分だったら堪えられないだろう。どんなものでもいいから何か対策を考えると思う。しかし、先祖から代々受け継がれてきた畑なので、不動寺の方々も何度も水対策を試みてきたのだと思う。しかし、何かの理由でそれができないのだなと思う。 以上が特に心の中に残ったものである。 これからの時代、出稼ぎで村に残る人がいなくなり跡継ぎが少なくなるが、なんとか自然保護の為にも、畑や田が住宅地に変わることのないよう神山や不動寺の方々に農業を頑張っていてほしいと思う。 (三井)
遠い山の上である上に、大雨と雷の為、実際に畑を見て回ることができなかった。また不動寺の組合長が外出中で、他のおじいさんなどその辺の人にしか話を聞けなかったので残念だった。話を聞いたのは大正生まれの人で、明治生まれの人はもう生きていらっしゃらなかったので、もっと昔の事を聞くことができなかった。 しかし、神山も不動寺も小さな村である上に若者はみんな出稼ぎに出ているので、静かで活気がなかった。どちらの村も跡継ぎ不足で悩んでいたのでこれからが心配である。 また、平和そうな村でも水の争いなどがあることが分かった。今、日本の農家は減りつつあるので、いろいろな問題を克服して頑張ってほしい。 (池田) |