【杵島郡大町町畑ヶ田】 中世の村と人々 現地調査レポート 1SC95303 津曲宏一郎 1SC95306 並木 健 1SC95277 岡村純也 現地調査実施年月日1995年7月11日 <しこ名一覧> ・ヒガシダ ・タビャアシ ・シチノウチ ・ヒョウカンドウ ・テンジンサン ・テンジンヤシキ ・ナガタ ・ヒラキ ・モロタ ・サカエゴ ・イチノカク ・ゴノカク ・ハチノカク ・マッツァブロウ(松三郎) ・ヒガシシンガエ ・ニシシンガエ ・マチウラ ・チョイガマエ ・サクラマチ ・コモゼイ ・コモジェイ ・ブクロウ ・ワンドウ ・ドウコ ○水路のしこ名 ・シンボイ ・モロタボイ ・シンガエボイ ・コモゼイボイ
1.聞き取りの方法、内容 我々は、上大町、畑ヶ田それぞれの生産組合長をつとめておられる亀川守人氏(年齢を訪ね忘れる)、坂井次男(つぐお)氏(57歳)宅をそれぞれ午前と午後に訪問した。当日は雨が幸いして両氏ともに自宅におられ、応接間に通して頂いての聞き取りとなった。 聞き取りのポイントは2つ、しこ名と水利についてとし、差しつかえがなければ昨年の様子も尋ねることにした。
2.成果 @しこ名について 亀川氏、坂井氏共に若く、しこ名を日常的に使用していた最後の世代であるため、部落の隅々までしこ名を得ることはできず、また、話してくださる内容も、圃場整備の頃の変化が中心であったため、両部落のしこ名を全て得ることはできなかった。しかし、それでも得られたしこ名を地図TUVに記す。
A水利慣行について いかに水利慣行についてわかったことを記すので、地図TUV上の青線分を参照しながら読んでもらいたい。
a.炭鉱からの導水 近所に石炭の鉱山があったことが、上大町、畑ヶ田に幸いした。いや、していたと言うべきか。鉱内に湧出してきた水(鉱内水)が、両部落の田圃を潤していたのである。石炭を洗炭場まで運ぶ鉱山鉄道が、両部落を通って敷かれようとした際に、鉄道に付随して設置する鉱内水移送用パイプから取水しても良いという条件で承諾したのである。 畑ヶ田は深底溜池に、上大町は花浦溜池に水を落とせるようになっていた。炭鉱が閉山になるまで、水不足の心配はなかったそうである。 上大町、畑ヶ田は浦川内溜池を共有しており、どちらが優先での取水はしないとのことであった。 1994年の大旱魃に際して、もらい水、時間給水等の特別な水対策は別にとらず、部落内での節水だけで対処したそうである。(しかし被害は特に畑ヶ田で大きかったそうだ。)
b.堀の呼び名 しこ名を尋ねながら、ふと疑問に思ったことをきいてみた。 「堀それぞれに名前はつけられてはいなかったのでしょうか。」 「つけていたよ。」 「本当ですか(喜)何と呼んでいたのですか。」 尋ねると畑ヶ田の坂井氏は、次々と堀の名前を指示しながら教えてくれた。 しかし、耳覚えのある名前ばかりなので、しこ名の地図を開いてみると、しこ名の後に「〜がホイ」とつけて堀の名前にしているのであった。堀の前につける田ん中のしこ名の選び方にはそれでもやはり、堀に沿って伸びている田ん中のしこ名が使われているようであった。
3.感想 自分(津曲)の祖父は農業を営んでいるが、(鹿児島県内之浦町)田のしこ名というものを使っているかどうかはよく分からない。今回このような機会に、中世からボリュームを失いつつも現在まで伝わっている日本の文化に生で触れたと思う。 3人とも話を聞きながら、しこ名の多様さに半ば感動していたように思った。坂井氏、亀川氏、それに両氏の奥様方は、不躾な学生たちに飲みものまで出してくれ、嫌な顔もせずに話をしてくれた。ここに改めて感謝したい。結果は完全ではなかったが、今回の現地調査は、我々にとって良い経験となったとして、このレポートを終わりたい。 |