小城町 (横町 三間寺 住吉町 松尾)

 

田尻 秀光   横谷 宜考  田畑 聡士  戸渡 圭裕

 

 

横町

 

 

 

 

 

 横町に住んでいる古老に最初に聞いたが、佐賀弁がきつくよくわからない点もあったため、道を歩いているおばさん達に田の名を聞いた。上図に書いてある「天神」、「松尾天神」、「布施ヶ里天神」、「布施ヶ里一角」、「天地」、「松ヶ島」は小字であった。この横町で色々聞き込み調査をしたが農家が2,3軒しかなく田の名を知っている者がいなかった。「竹の横」「寺の裏」「墓の家」は冷泉寺の住職の古賀さんに聞いた。これはこの寺の家族の間で通ってるしこ名らしい。地図上にもある「宝司水路」は上流で調査した松尾にもある。

 

 

 

松尾

 

画像有

 

 

まずは地図中北部の方から。開田(ヒラキタ)という集落があるが、その中に山彦とよばれる田があるそうだ。その南東に裏山(ウラヤマ)があり、その南西に帝神軒(テイジンノキ)、南に小さな帝神がある。この帝神軒の“軒”は方言で“の木”とも書き、読み方は“ノギ”または“ケン”ともいうそうだ。そして南側は西から順に清水堀(シミズボリ)西谷(ニシタニ)西八反(ニシハッタン)丁永(チョウナガ)廟(ビョウ)と呼ばれている。この中で清水堀は昔、この土地の付近から水がわき出してきたことからこの名前がつけられた。また、西八反は小字だそうで、また東の方に東八反もあり、この場所はここに住んでいる人たちには、山辺(ヤマベタ)と呼ばれている。そして、一番東にある廟(ビョウ)は辭書を調べてみたら“ビョウ”という読み仮名だったが、大木が茂っていてかなり厳格な雰囲気であった。ここは日蓮宗に属しているようだ。また、東側には宝司水路が流れているが、これは後で説明しようと思う。このほかにも多数の地名があるらしいが、もうほとんど農家はなく、残ったこの土地をよく知っている人々も、体調不良、入院などで連絡が取れなかったのが残念である。

 

 

 

住吉・三間寺

地名とその由来    窪(くぼ)  ここは周りに比べて低地であるために 

                  こうよばれている。

           八戸(やつへ)「はちのへ」という読み方はしないとい

                  うことである。

           天神幹(の木)「八戸」とこの一帯は高地であるために

                  以前は良田が多く麦の栽培が行われていた。現在は宅地化がすすみ、一等地となっている。農家の間では天神の木と呼ばれている。

 

〈気づいたこと 感想〉

   現在の住吉は宅地化が進み、農業をやっている人はいなく情報収集が困難であった。そのため現地ではなく他の部落の農家や農協の組合員の人たちから聞いた話より地名を書いた。

 

 



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