歩き・み・ふれる歴史学

 佐賀県小城町を訪れて

 

   西村 將生 

   斉藤 世嗣

   犬丸 憲二

   三井 雄二郎

   高橋 祐二

   池田 洋介

 

7月26日(水)

   9:30     佐賀へ向けて出発

   10:50    佐賀県小城町役場に到着、調査にのりこむ。

 

            会議室にて、しこ名を聞く。だれも知っている人は

            いなかったが、昔の資料をみせていただき、そのコピーまでいただいた。そのコピーにはしこ名らしき

            子字があった。(後になって知ったのだが、これはしこ名ではなかった。)そこで、小城町の地勢、干害、水害についてのお話をうかがった。内容は次の通りである。)

   小城町の総面積  45.29平方メートルのうち

      農耕面積  1485,6 ヘクタール

      田     789,7  ヘクタール

      畑     695,9  ヘクタール

      林野面積  1975,0 ヘクタール

      (山崎、上右原、下右原、門前、小島、牛尾それぞれの地勢は

そこではわからなかった。)

   

   干害について

      三十三年 梅雨が中休みの形となり連日の日照りとなった。このため水稲の植え付けが遅れ、小島地区や轡ケ里地区では干害応急対策事業として深井戸を掘って急場をしのいだ。また、三十二年北山ダムが完工し、その下流の佐賀市を中心とする地域や西芦刈、水道以南の地帯では何ら干ばつの影響をうけなかった。七月中旬から九月二日まで五十日間雨らしい雨はなく、町でもかんがい用水確保のためのポンプ二十二台を購入した。この干害は農業用水のみにとどまらず、生活用水もおびやかした。

      このころから上水道設置の必要性が認められ始めたのである。この翌年 町の南端小島地区では再三水不足に悩まされるため、西芦刈水道組合加入について陳情を出したが、標高の関係などで不調におわった。

 

   12:50  役場を出発

   13:10  国信亀次さん家に到着

          しこ名について詳しい南けんごさんをよんでもらい、2

          人から話を聞く。

   14:30  桑原輝美さんを紹介してもらい出発。

   15:00  桑原さん宅に到着。

          電話で桑原耕介さんを呼んでもらい、3人から話を聞く。

   15:40  門前町では田中実さんが一番年寄りときく。

          田中さんを捜しに出発する。

   16:00  門前町に到着  三岳寺の人に田中さん宅をきく。

16:10  田中さんに話をきいたが、もうなにも覚えていなかった。

          他の人を紹介してもらおうとしたが、もう仲間も死んで

          しまって誰もいなかった。そういうわけで何もしこ名は

          得られなかった。

   16:30  牛尾、小島の方も連らくなしに行ったので、しこ名を覚えている人とはあえなかった。

   17:30  小城町を出発

   19:30  福岡着

 

   お話をして下さった方のお名前と年齢

   国信 亀次さん   81歳

   南  けんごさん  78歳

   桑原 輝美さん   80歳

   桑原 耕介さん   76歳

   田中 実さん    

 

 

感想

 去年は「中世の村と人々」で佐賀に行きましたが、今年も「歩き・み・ふれる歴史学」でまたしこ名をあつめることになりました。バスで行った前回とは違って今回は車でいきました。自分たちで先方の方に電話で連絡をとり、都合をつけてもらいました。役場の方々はとても親切で5〜6人の方が集まって、資料をもってきてくれて、ためになるお話をしてくださいました。またその後、うかがった御年寄りの方も、50年も前のことを一生懸命に思い出してくれました。前回も感じたことですが、当日に突然おうかがいしたにもかかわらず、とても優しく、親切に接してくださった人々のあたたかさにはとてもうれしく思い、感動しました。

 それと、しこ名についてですが、役場には昔の資料としては残っているけれど、それを使っていた人も亡くなって、憶えている人ですらほとんどいなくなっていました。今回、そのわずか一部ですが記録して後に残すことができるようになったのでよかったと思います。

                         西村 將生

 

 今年は友達の都合により、予定日より早めに行くことになりました。先生の紹介された方々に電話してみたところ、1軒以外は現在使われていないとのことで記憶されていませんでした。それで、役場に行き、しこ名を調べました。

役場の方々はとても親切で丁寧に教えてくれました。お茶も出してくれました。しかし、言葉は方言が強くときどき聞き取りにくかった。それから、先生の紹介された方々のところへ、当日連絡または連絡なしにもかかわらず、熱心に記憶を呼び戻して、親切に教えてくれました。今回のしこ名探究は成功であると思います。 

                         三井 雄二郎

 

今回、我々は昔使われていたしこ名を調べるため佐賀県小城町に行ったのだが、右も左もわからないため、まずは、小城町役場に行った。応対していただいた方に、資料をお見せして自分たちが調べているしこ名をわかってもらおうとしたのだが、(これは後からわかったことだが)役場の方が持ってきた文獻、昔の地図などにのっているのは全て小字でしかなく、我々が調べようとしていたしこ名ではなかった。次に我々は実地調査を行うため、役場の方に紹介していただいた。南さんのお宅をうかがった。そこで、自分たちが調べていることを説明し、そして“しこ名”も理解して(思い出して)いただいた。南さんの第一声は「50年も60年も昔のことだから…・」であった。我々は一つでも思い出してもらうと次が思い出してやすいだろうということで役場でコピーしていただいた資料をお見せした時、南山は「これはしこ名ではない」と言われ、そこで初めて役場での聞き取りがむだだったことを知った。それから南さんにしこ名に詳しいであろう。国信さんを呼んでいただき、いくつかのしこ名を得ることができた。他の地区(村)も同じように調査は進んだ。調査をしながら感じたことは南さんの第一声と同じであった。50年も60年も前のことなので、いくらそのころの生活にとけこんでいた呼び名であっても、地図に載って無く、だから思い出すこともなかったしこ名を50年ぶりに思い出していただくのはとんでもない無理難題であった。それでも必死に思い出していただいた方々に感謝したい。ただ、しこ名を知っておられるのが70代後半から80代にかけての人なので、すでに亡くなっていたりしてスムーズに調査がすすまなかったのはどうしようもない現実であった。

                           斉藤 世嗣

 

 今回、都合により他の人よりも早く現地に行くことになったので、自分たちで電話連絡することから始まりました。教授から紹介された方々に電話したが、「しこ名」についてあまり教えられることはないと言われた、小城町役場に連絡し、当日はまず役場に行くことなりました。役場では5,6人の方々が親切にいろいろな資料を集めて下さいました。それから、古老の方を紹介してもらい、その方の家におじゃましました。50年ほど前のことも思い出して下さいました。役場にも残されていない「しこ名」で地図がうまっていくのに喜びさえ感じました。当日に突然うかがったところでは、もうお年寄りがいなくて、「しこ名」を集めることができませんでした。今回は少しだったけどかくされた歴史にふれることができ、それを記録できよかよかったと思いました。

                           犬丸 憲二

 今回、我々は都合により予定を早めて、昔使われていたしこ名を求めて佐賀県まで行くことになりました。急だったことあって、なかなか思うようにいかず、目標の半分くらいしか調べることができませんでした。以前、「中世の村と人々」で佐賀に行き、その時は教授から紹介された方々が前もっていろいろと情報を集めてもらったおかげで調査はかなりうまく行きましたが、今回、教授から紹介された方々に電話をしましたが、昔のしこ名を知っておられるお年寄りがおらず、困った僕らは小城町役場に連絡し、そこでいろいろとお話をうかがいました。しかしそこで得られた情報はほとんど調べる必要のないことばかりでした。それで役場の人に調べる場所一番お年寄りを紹介していただき自分たちで実際に調べていました。急であったにもかかわらず、皆さんとても親切にそして一生懸命教えて下さりとても感動しました。今回この調査に協力して下さった、国信 亀次さん、南けんごさん、桑原輝美さん、桑原耕介さん、田中実さん、そして小城町役場のみなさんありがとうございました。

                          高橋 祐二

 

 今回の調査はしこ名という自分たちは見たことも聞いたこともない事でとっつきにくかった。また、相当者にしか使われていなかったらしく、70歳後半から80歳以上の人にしか分からず、事前の電話でもあやふやな返答が多かった。役場に行けば何か分かるだろうと言われていたのでとりあえず小城町役場に行ってみたが、小字と呼ばれる物しか分からなかった。結局役場の人に現地の人を紹介してもらいそこへ行った。急な訪問なのですぐにはしこ名はわからなかったが、なんとか50年前のことを思い出してもらいだいたいのしこ名を得ることができた。大々的な区画整理のため地図が大幅に変わっており水利慣行についてはくわしく聞くことができなかった。また町によっては80歳前後の人が全くおらずアポなしということもあって調べることができなかった。それでもなんとか3つの町のしこ名を聞くことができた。現地の人が真剣に思い出してくれたおかげだと思う。かなり無理のある調査だったがみなさんの親切に助けられなんとか調査できたのでよかった。しかし、こういう調査の時は事前の下調べを詳しい連絡が必要だと思った。自分としてはできる限りの事はできたと思う。

                            池田 洋介

 

 

 

しこ名

1 牛丸   ウシマル      11  柳内  ヤナギウチ

2 西古賀  ニシコガ      12  三十六 サンジュウロク

3 野中   ノナカ       13  下古賀 シモコガ

4 ミゾタ  ミゾタ       14  十八  ジュウハチ

5 ヤナ   ヤナ        15  えご  エゴ

6 五呂田  ゴロタ       16  おばな オバナ

7 松永   マツナガ      17  大くぼ オオクボ

8 三山   ミヤマ       18  深底  フカソコ

9 上瀬町  ジョウセマチ    19  ばばの谷 ババンタニ

10 吉野  ヨシノ       20  馬入り川 ウマイリガワ

21 たるい タルイ       1  どんぽいけ  ドンポイケ

22 かめんくう カメンクウ   2  ムク池    ムクイケ

23 おにつか  オニツカ    3  三山堀    ミヤマボリ

24 大日さん  ダイニッァン   4  ツッキー堀  ツッキーボイ

25 つつみ   ツツミ     5  たなか堀   タナカンボイ

                 6  とくやん堀  トクヤンボイ

 

 

しこ名の由来

15 えご     海の水と川の水がちょうどぶつかる所

19 ばばの谷   昔、馬の調教所があった。

20 馬入り川   馬を洗っていた。

23 おにつか   昔の処刑所があり、はりつけをした。

 

 

 



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